Saturday, December 23, 2006

Plymoth Rock and Ellis Island-trans:Shouzou Tahara

Plymoth Rock and Ellis Island-Lapanese Translation

Summary of a lecture delivered before about one hunded audiences all over the United States between eary October,1939, and early May,1940.

"The future, ours and the world's, is in unity within diversity. Our various backgrounds are important and valuable, but, in the long run, not in themselves, not as something perfect and final. They are important and valuable only as material for our future American culture. As I say, we have a chance to create a universal, a pan-human culture, more satisfying than anything humanity has as yet devised or experienced.
The American Dream is a lovely thing, but to keep it alive, to keep it from turning onto a Nightmare, every once in while we've got to wake up."


Plymoth Rock and Ellis Island by Louis Adamic
translated by Shouzou Tahara

*recommend
Cultural diversity! From Wikipedia, the free encyclopedia
Ellis Island! From Wikipedia, the free encyclopedia
Ethnic group! From Wikipedia, the free encyclopedia
Immigration! From Wikipedia, the free encyclopedia

「多様性による統一」-移民作家L・アダミック全米講演要約 1939-40
ルイス・アダミック/田原正三 訳
 

 五十五年前、ウォルト・ホイットマンは、アメリカのことを「ここは単なる一つの国ではなく、多くの民族が群がる国だ」と述べました。アメリカは建国当初からそうだったのです。建国の祖父たちはそのように認められていました。ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファソンはこの目的のためにできた委員ですが、彼らはこの国の新しい国家の記章が、最初の十三州の記章以外に、イングランド、スコットランド、アイルランド、フランス、ドイツ、オランダといった国ぐにの記章をも含めて欲しいと議会に要請したのです。「これらの州は、こういった国からの人を移住させていた」ことを表わしているからです。……このことが、以前から多くの血統を持った国だったのです。
 しかし昔は、その発展の初期の頃は、アメリカは今日と比べて人種構成においてはるかに純粋であったことは疑いありません。たとえば百年前ですが、この国の人口は大部分英国に、つまりアングロサクソンに由来していました。彼らは―当時の人口の他の要素と並んで―主にプロテスタントでした。カトリック教徒やユダヤ教徒はほとんどいませんでした。確かにかなり多くの黒人たちがいましたが、彼らは南部に集中していたので、奴隷制度によってアメリカ文化の発展の外側にいるという誤解を植え付けられていました。別な理由で、 同じことは先住民のアメリカ・インディアンについても言えます。
 支配的な要素としては、東部のアングロサクソン系アメリカ人たちが文化の型を生み出し、その後人びとが西部へ移動し始めるにともなって、それが全国へ広がっていったことです。この型に織り込まれた糸はイギリスの遺産であり、英語であり、植民地経験であり、独立革命とその理想、開拓者精神であり、なかでも特に北東部においてのピューリタニズムと呼ばれた人生観でした。これらの文化的な開花と関連して、「アメリカの夢」と呼ばれるようになった国民の希望とか熱望の体系が現われたのです。「アメリカの夢」とは、独立宣言書と合州国憲法の中に記載された、あるいは具体化された、主として人間個人に対する信頼、自由、友愛、平等の概念であり、そして一般には幸福と民主主義の概念のことです。この夢は、この国での初期移民や彼らの先祖たち―私は彼らのことを旧移民の血を引くアメリカ人、つまり、オールド・ストックのアメリカ人と呼ぶことが好きですが―が抱いた理想主義の、社会的、創造的衝動の源泉だったのです。
 この新世界においての彼らのグループとして人生を踏み出した土地は、ジェームズタウンとプリマスロックでした。
 独立革命後―革命は、一つにはイギリスが建設した東部十三の植民地への自由な移住を許可しなかったので起きたわけですが―新しい移民たちがひっきりなしに渡ってきました。それでもかなり長い間、その大半は主にプロテスタント教徒のドイツ人とオランダ人を含む、アングロサクソン系でした。

 一八二〇以前は移民はいませんでした。その年に約八千人の移民が入ってきました。一八三〇年は移民の人口は二万三千人でした。一八四〇人には約八万四千人が入ってきました。これら数十年間に、移民のなかにカトリック教徒のアイルランド人が多数含まれていましたが、それでもその大半はドイツ人とオランダ人の血を引くアングロサクソン人とプロテスタント教徒でした。

 それから機械(マシーン)が、国民の生活現場に唸りをあげて登場し、産業革命を引き起こし、この国を急速に発展させ豊かにさせる情熱をもたらしました。それにまた、南北戦争つまり州を分ける戦争が起きましたが、それは人的エネルギーの莫大な損失でした。そこで新移民の流入が始まったのです。

 この百年間に三千八百万の移民が渡ってきました。そのうちの二千四百万はここ五十年の間(一八九〇-一八九〇年間)です。しかも、彼ら大多数は非アングロサクソン系と非プロテスタント系でしたので、ピューリタニズムと呼ばれている人生観はそれほどしっかりとは身に付いてはいませんでした。

 こういった新しい移民のなかには、アメリカの産業資本家に魅せられ冒険心を抱いてやってきたり、物質的な動機でやってきた者もいました。しかし大部分は、抑圧やテロリズム、そして大虐殺を逃れてやってきた人々です。一般には兵役や軍国主義を逃れてです。さらにゲットーでの暮らしや、経済的あるいは個人的な挫折やその挫折の恐怖から逃れるためにです。それはまるで「自由の女神像の台座」(一八八六年)の詩行に魅せられてやってきたかのようでした。

汝の疲れたる貧しい人びとを
自由の空気を吸わんものと
身をすり寄せ 汝の岸辺に押し寄せる
うちひしがれた群衆を
我にゆだねよ
かかる家なく 嵐に弄ばれた人びとを
我がもとへ送りとどけよ
我は黄金の扉のかたわらに
灯火をかかげん

 彼らにとってアメリカは、最も初期の移住者である清教徒たち同様に、より良き生活を求めるための避難所であり、機会の国でした。……彼ら三千八百万の移民たちは、アメリカに辿り着くなり全国に散って行きました。これは歴史のほんの一瞬に過ぎません。彼らは五〇余りのさまざまな民族的素性を表わし、多くの言語と数百の方言を話し、数十種類の異なる宗教に帰依しています。

 これらの新しい移民の大多数は都市部へ入り、工場や制作場、小さな商店やストックヤード、新しい橋や道路、摩天楼で働いたり、でなければ小さな炭坑町や山に入りました。しかし開拓者として農夫になった者も多くいました。あるいは各地の海岸線や五大湖で漁師となったり、樵として森へ入った者もいました……。そして誰もが働き、建設業に従事し、土を掘ったり掘り返したり、荷物を運んだりしました。当時はいまのようにビルや橋はありませんでした。何マイルも続く鉄道も、ハイウエーにかかる陸橋も、そして乗り物もありませんでした。移民たちの労働による成果だけでした。

 これはこの世の最高の素晴らしい物語であり、この巨大な美しい大陸においてのほんの僅かな期間の、これらすべての人たちの到着と出遭いの物語です。これまでほとんど知られていない物語ですし、おそらく一度も十分に書かれたことのなかった物語でしょう。……私個人としては、ちょうど今、一九三九年の初め、ニューヨーク・カーネギー財団助成金に依るプロジェクトでそれに取りかかっています。それは、この百年間にここに渡ってきた三千八百万の移民たちの事実を中心に転回する、またその事実から生じる、私たちのアメリカ生活における多様で複雑な成長についての調査です。いずれシリーズ本になるでしょう。

 私がこのプロジェクトを計画したのは、新移民がアメリカの歴史において非常に重要であるにもかかわらず、ひどく無視されてきた事実があるからです。アメリカに住む私たちの未来を考える上で、このことは非常に重要に思われるからです。……

 私はこれまで、私が「ブロードサイド」と呼んでいるもの(ご覧になった方もいるかもしれませんが)――その問題に関する参考資料を得るための質問表――を、各機関、個人宛てに約十五万枚を送付してきました。そして(一九四〇年五月までに)約九五〇〇枚の、数行から一〇〇頁余りにおよぶ返答やその他多くの資料を、たとえば新聞雑誌の切り抜き、スクラップブック、手書きの本、世に埋もれた著書、小冊子などをいただきました。これらの資料は、旧血統のアメリカ人や新移民またその子どもたちなどいろんな人たちから、あらゆる階層の人たちから、全米およそ一五〇〇の都市や町から私の許へ送られてきました。そして今でも届いています。計画当初から、私は助手たちとともに約五万マイルを旅し、二、三人から少人数のグループの形で個人的に様々な人たちに会って話を聞き、頻繁に手紙を書いてきました。私はいうならば、現在のこの仕事を通して、アメリカを詳細に観察しているところです。この国の多様性についてです! 良かれ悪かれ、この多様性ゆえの、この国での可能性についてです!

 私たち、旧血統のアメリカ人と新アメリカ人たちは、私たちがこの国で持っている人的資源に気付いていませんし、この大陸で偉大な文化を生み出すための目前にある好機に気付いていません。偉大な文化とは、これまでこの世に現われたどんな文化よりも普遍的なものです、つまり、人類全体にアプローチできる文化です、そして人間構成を満足させるものにアプローチできる文化のことです。もしこの機会を利用することができないのであれば、私たちは、前途の危険に気付いていないのです。このことを私は特に強調したいのです。……私たちは、今日の状況を、この新しいアメリカを認識する必要があります。この新しいアメリカに適応させる必要があります。一つの国家として、私たちは新しい民族グループの天性、能力、特色、そして文化的な価値などの資源を調査する必要があります。いずれにせよ、世界と同様、私たちは前途多難な時代に直面しています。そして、おそらく今後数十年間は、バランスを保たせなければならない、あらゆるものが必要となるでしょう。

 この国には三十万余りの先住民のアメリカ・インディアンがおり、彼らは主に保留地にいますが、これはどことなく特別な孤立した問題です。それと同時に、一千三百万の黒人もやはり特殊な類のない重大な問題であり、ことによると、私たちの形成する文化の、私たちの民主主義を持つ権利の、最も厳しい最後の試金石になるでしょう。それは、白人たちがやがて自らその問題の解決に取り組むようになりさえすればこの国が直面することになる試金石のことです。

 白人の人口は一億一千五百万。彼らの半数以上がアングロサクソン系であり、でなければ一部か大部分かは自分ではそう思っているか、あるいはそれで通しています。彼らはプロテスタントかカトリック教徒の素性を持っています。アングロサクソンではないが、プロテスタントかプロテスタントの素性を持ったその他二千万ほどの人がいます。約一千万がアイルランド系カトリック教徒かその素性を持った人たちです。一千五百万から二千万の間がドイツ人、約五百万がイタリア人、約四百万人がスカンジナビア人、二百万がフランス人、そして様々な素性を持つ八百万から一千万の人たちがいます。五〇万がフィンランド人、リトアニア人、ギリシャ人の素性を持つ人たち。それに数十万の東洋人、またかなりの数のメキシコ人、フィリピン人がいます。さらに四百五〇万のユダヤ教徒や、約二千万のカトリック教徒、五、六百万の東欧正教徒がいます。……これらは概算ですが、かなり近い数字ではないかと思います。

 現在、一千二百万の移民がおり、「外国人の白人の血を引く者」として国勢調査に示されている、三千万から三千五百万の、アメリカ生まれの移民の子どもたちがいます。さらに、一千万から一千五百万の、国勢調査で示されていない移民の孫たちがいます。この約半数は白人の人口で構成されています。残りの半数は非アングロサクソンと非プロテスタント教徒です。

 新移民たちはほとんど都市部に住んでいます。一九三〇年の国勢調査では、ニューヨーク市の人口七百万のうち七三パーセントが外国生まれか、移民の血を引く人たちでした。シカゴは六四パーセントが「外国人」です。フィラデルフィアは五〇パーセント、クレバランドは六五パーセント、ボストンはあらゆる場所で七一パーセント、そしてデトロイト、サンフランシスコ、ミネアポリス、セントポールはそれぞれ五七パーセントです。メーソン・ディクソン線(ペンシルバニアとメリーランド)の北側と、ミシシッピの東側に位置する大都市には、いわゆる「外国」と呼ばれる所が五〇パーセント余りも占めています。これは他の多くの地域についても言えます。

 もちろん、英語はいぜんとしてこの国に広く行き渡った言語でありますし、それにとって代わらせたいという望みはどこにもありません。しかし現実には、約四〇か国語で刊行された一〇〇〇紙を越える新聞雑誌があり、英語よりも他の言語で日常的に使用されている一〇〇〇局ほどのラジオ番組があり、そして数百の小教区の学校や「公立」小中学校があり、そこではかなりの数のアメリカ生まれの子どもたちが数十か国余りの外国語で教わっています。

 こうした事実と評価は、良かれ悪かれ、ダイナミックな可能性にあふれていると思いますが、私たちが注意深く知的であれば、問題はないでしょう。こうした事実にこそ、アメリカ合衆国の未来は大いに関わっています。

 新移民のグループは、それぞれ成功した著名人や有名人を数多く輩出しています。「アメリカ人名録」によれば、科学者、画家、音楽家、教育者などは二千五百人を越えます。とはいえ、新移民の大多数の者は身分の低い労働者や農民たちです。彼らは不安定な経済マージンで危険な橋を渡っています。なかには、一般に思われているほど多くはないけれど、生活保護を受けている者もいます、いや、いました。……もっとも彼らにとって、故国で生活するよりももこの国の方が裕福であることは確かですけれど。このことを大体承知で彼らはこの国に住んでいます。彼らのこの国に対する愛着は、私は個人的にいろんな例で知っていますが、ほんとうに言葉で言い表わせないくらいです。

 しかしこういうことが一般的に事実であるにもかかわらず、多くの者は、おそらくほとんどの者は、精神的にか文化的にたいへん窮屈な思いをしています。彼らは旧い血統のアメリカ人たちとは多少違っています。そして違っているとみなされています。そのためにいろんな方面から、主流のグループから、そのことでさまざまな形の偏見を受けています。近年では大恐慌がこれらに手を貸しました。名前がいわゆる外国語の響きを持った外国生まれの者や彼らのアメリカ生まれの子どもたちは、多くの場合、旧血統の労働者を前にして、時には黒人たちの前でさえ真っ先に解雇されています。これが移民たちや彼らの家族の間に漠然とした、しばしば無意識の恐怖心を引き起こし、そのため様ざまなグループは「外国人」区域に留まりしがみつくことになったのです。もっともそういう場所は平和な時代には分裂の兆しをみせはじめていた所ですが……。近年また、ヨーロッパでの激動から、グループ感情もしくは民族感情の強烈な余波を受けています。そのなかには自然にまた必然的に起きたものもあれば、旧世界の政府機関によって故意に引き起こされたものもあります。(この余波の影響は、一九四〇年五月いらい非常に増えています)。

あえて単純化し過ぎる危険をおかして言えば、この余波と大恐慌は偏見と非寛容を増大させ、グループとしての彼ら自身の人的資源についての様ざまな要素を、多少撃退させる効力を生み出してきました。

 反ユダヤ主義が増大しています。全米各地でユダヤ人たちの能力や野心を抑圧し、アメリカ生活の主流から彼らを引き離す傾向になっている、ということは周知のことです。……あまり目立たない形で、おだやかな形で、同じことは他の多くの新しいグループについても言えます。

 私の印象では、このような偏見の企みにおいて社会的に最も重要なのは、旧血統の人たちの態度です。なぜなら、彼らは主流派グループの側にあり、指導的な地位にあり、しかも彼らのすることが何であれ、新しいグループの人たちによってなされている以上に重要に思えるからです。「在留外国人」や「外国人」のような言葉が、あまりに不注意に、あまりに嘲笑的にかけられています。多くの人は「在留外国人」を口にするとき、在留外国人だけを意味しているだけでなく、帰化した移民たちをも意味しています。そしてよく、名前が「外国」の響きをしているなら、彼らだけでなく、アメリカ生まれの子どもたちをも意味しています。

 このような問題がいま全国的に広まっています。議会の両院議場で目立っています。職業的な愛国者の演説のなかに忍び込んでいます。そして次第に組織化されつつあります。約八百のそのような団体組織があると言われますが、その目的は偏見を拡大することです。それは旧い血統のアメリカ人たちによってではなく、より好感を持たれている最近の新移民グループのアメリカ人たちによって企てられています。

 このように、旧血統の人たちによる偏見は、その影響力においては最も深刻です。とりあえず付け加えますと、概して、アメリカの最高の伝統に繋ぎとめられている旧血統の人たちは、一部の新しいグループよりも偏見を持つことがどちらかというと少ないです。新しいグループとは、旧世界のナショナリズムの遺物として、各地で双方激しい敵対関係を抱いているグループのことです。

 旧血統と新血統の人たちのいずれも共に次から次へと偏見を生み出し、それが私たちの文化的なムードに行き渡り、国民生活のほとんどの面に影響を及ぼしています。そしてそれがまた内部にひどい混乱状態を引き起こさせ、個性をめちゃくちゃにし、不安に駆らせ、防御的にさせ、野心や能力や進取の精神や自分の好きなことに参加したい気持ちを抑え妨げています。

 もういちど公平にみますと、あらゆる俗物根性やその関連した態度では、旧血統のアメリカ人と新アメリカの両方で、一方が他方に対して、多くの友好的な態度が見られます。あるいは表向きの友好的な態度がみられます。現在の調査からわかる範囲では、旧血統のアメリカの六、七割が、全体的にみて友好的になっていると言えます。もっともそのような友好さは、残念ながら保護者気取りで、恩着せがましい態度をとりがちで駄目になっているけれど。しかも、大ざっぱにみて、より新しいグループの半分ほどがそれほどひどい偏見を持たれていないというべきですが。偏見の多くは、個人的なことでも、単なる一般的なことでも、不注意なことでも、愚かなことでもなく、表面的なことだと言えるかもしれません。

 私はここで誰かを非難したり謝罪したりしているわけではありません。この偏見をたくらんでいる悪役もやはりその犠牲者です。もちろん、偏見がその標的にされている者以上に、偏見を抱く者が根本的に悪いということはわかります。前者の人間性や健全な精神を奪って不愉快な人間にしているわけですから。

 私が言いたいのは、私たちがあまりに偏見を持ち過ぎているのではないかということです。現在、偏見が増大しつつあり、それがアメリカ自体にとっても利益にならないということです。

 多くの異なったグループ間の溝は深まりつつあります。それぞれがお互いのアラを探し合い、さまざまな窮地に追い込まれ、分裂状態にあります。これは新しいグループ同様、旧血統の人たちにも言えます。……私は数百人の旧血統の人たちを個人的に知っています。あるいは手紙を交換しています。彼らは特に東部の人たちですが、それ以外の出身者もいます。彼らは数百万の旧血統の人たちの代表です。彼らの住んでいる都市に「こういった外国人」がいっぱいるので不愉快に感じている人たちです。そのため、この国が駄目になっていると思っている人たちです。ある種の感情が彼らに忍び寄りつつあります。「これはもう俺たちの国じゃない」とか「もはやアメリカではない。アングロサクソンのアメリカではない」と。ですから、ここでは在留外国人のような感じを抱きはじめている、と告白しています。そのため、自分の殻に閉じこもったり、態度もこわばったものになり、それで多少お金を持っていればそれにしがみつき、全くないなら「こういった外国人」を非難しています。彼らは、この国の発展的、創造的な衝動から、「アメリカの夢」から引き離されて萎縮し、無気力やノイローゼや反動的になる恐怖と混乱の風潮に引きずり込まれています。

 そしてこれは一般に新しいグループにも言えます。このように彼らは自分たちの殻に閉じこもり、自民族中心主義の領域にこもり、民族あるいはグループ的虚栄やエゴに引きこもりつつあります。これは移民たちについても言えますし、次第にアメリカ生まれの子どもたちについても言えるようになりました。……もちろん、例外はたくさんあります。しかしながら、一般に新しいグループ(特に現在は、東南ヨーロッパや近東の素性を持った人たちとユダヤ人やドイツ人の素性を持った人々)は、精神医が帰属と呼んでいる確固とした考えは持っていません。つまり、人格、個性の十分なバランスのとれた成長と、ある文化内における創造的な方法がその有効性に必要だとみなされているとは考えは持っていません。

 繰り返しますが、これは移民や彼らのアメリカ生まれの子どもたちについて言えます。彼らの多くについて、おそらくほとんどの者についても言えると思います。その数が数千万に達しているのも知るべきです。……彼らは、旧い血統のアメリカ人たちと違っています。彼らの旧世界の遺産は、ほとんどの場合、イギリスではなく、ポーランドとか、イタリアとか、ボヘミアとか、アルメニアとか、バルカンなどです。ですから、彼らがグループとして重要なアメリカ人となった素性の始まりは、神の栄光に称えられたメイフラワー号によってやってきた人たちです。プリマスロックやジェームズタウンではなく、キャッスル・アイランドや、エンジェル・アイランド、インターナショナル・ブリッジであり、メキシコ、カナダの国境です。ニューイングランドの荒野ではなく、都市スラムや工場制度の社会的・経済的ジャングルです。一七七六年のアメリカ独立革命ではなく、この七五年間の産業革命です。「自由の鐘」ではなく、ニューヨーク港ではじめて目にした「自由の女神」です。

 新アメリカ人たちは、一つの身分として、一つの文化として、一つの思想として、アメリカに個性的に一体化されていません。もっとも、ほとんどの者は自暴自棄にさえなりたがっています。しかし、国家的風潮を貫いている偏見の流れは、その一体感を実現するのを困難にさせています。新アメリカ人が「われわれ」と言うとき、「われわれアメリカ人」とか「われわれこの町の住民」を意味しているのではなく、「この土地に住みながら、民族的出自や素性がポーランドとかアルメニアであるわれわれ」という意味です。彼らが「アメリカ人」を口にするとき、ふつう彼ら自身を意味してはいません。

 その大多数、数千万の人々は、防御的で、劣等感に悩まされています。その結果、躊躇したり、メンケンがいつも呼んでいる「アシスタント・アメリカン」になりがちで、向上心を抑制し、アメリカ生活の主流から切り離される傾向にあります。彼らは経済・社会・文化的に「境界人/マージナル」であり、アメリカの発展的、創造的な衝動には適応されずに、萎縮するために恐怖と混乱が駆り立てる風潮に振り向けられています。

 こういうことに対して、多くの人は寛容の必要を説きます。でも私はよくわかりません。おそらく寛容では十分ではないでしょう。大体、私は非寛容に対する寛容を好みます。ウェブスター辞典に載っている寛容の定義を知っています。でもこの問題を調べてみますと、寛容はかなりの人が考えているものとはどこか違っている場合が非常に多いです。ふつう寛容は、それが実際に使用されるとき、消極的な非寛容に過ぎません。つまり、否定的な寛容です。チャニング・ボロック(米作家)はそれを「不過誤の独善性」と呼びました。優越感のことです。人が自分の嫌いなものを我慢する場合、寛容になります。寛容というのは、大てい、人が対処できない場合に巧妙になったり、丁寧になったり、力が及ばないようになる非寛容のことです。大部分は非寛容に対する虚飾であり、従って容易に崩壊します。また近年、大恐慌の衝撃や海外での事件の余波をうけてそれに亀裂が生じています。それ以上の何かが必要です。私たちはお互いに理解せざるを得ないでしょう。

 「ここは単なる一つの国ではなく、多くの民族が群がる国」。つまり、一つの国家になる過程にある国です。それは以前からそうでしたし、今後、いやずっと、そのままの形でいたとしても悲劇ではないと私は思います。アメリカは以前から多種多様な血統や宗教が混在した、異質な要素からなる国であったし、ときには世界の中でそのユニークさの拠点でもあり、その多くの力の源泉でもあったし、現在でもそうです。この国の最もダイナミックな都市や地方の多くが、最も多様な国家的、文化的背景を持った人たちがいるということも、偶然ではないでしょう。

 プラス面では、アメリカは常に多様性、変化、そして異質なものを歓迎してきたことは確かです。独立革命は、先にも述べましたように、一つにはイギリスが植民地に移住を許可しなかったから戦われたのです。

 建国の始祖たちの大部分はアングロサクソン系でしたが、独立宣言書の署名者の一八名は、英国の出身あるいはその血統の者ではありませんでした。この国の中心的な思想や理想の源には、さまざまな起源を持っています。独立宣言書はこれまで書かれたなかでもきわめて優れたものであり、ジェファソンによって英語で書かれたアングロサクソンの文書です。しかしながら、その内容は、誰か特定の血統を持った排他的な特許品、というわけではありません。それどころか、初期の、最初ではないにしても、独立宣言草稿がイタリア人のマゼイによって書かれていて、そして彼が実際にジェファソンの親友であり同僚であったと信じる確かな根拠があります。自由、平等、友愛、民主主義の思想においては、どんな血統も独占できません。……独立革命以前、ニューイングランドの反英国牧師たちの説教は、「旧約聖書」の中で、またあるユダヤ人の著書の中で、自由を扱っている節に基づいていました。統治された者の同意に基づいた政府は極めて重要な概念です。建国の祖父たちはそのことを、十三世紀のスペイン、イタリア、フランスのスコラ派の哲学者から理解したのです。歴史家によって明らかにされています。

 やはりどうみても、アメリカニズムは誰かの独占物ではなく、いろんな時に、ほとんど至る所で、人間の最高の熱望と気質をみごとに凝縮したものです。おそらく、今日の世界では、理想主義の最高の組織体でしょう。とりわけ、原始的な人種差別主義や恐怖、ナショナリズム、そして群本能ないしは群心理から脱却した一つの運動、つまり、自由、創造性、普遍的あるいは全人類的な文化を目指した文化運動です。

 私はプロジェクトを進めていく過程で、移民たちがはじめて「自由の女神」を目にしたときの感動――涙があふれ、跪きたかったことや、女神を一目見させようと子どもたちを抱き上げたこと――を私に語り手紙を書いてくれたことに何度も感動させられてきました。こういった移民たちは、彼らがアメリカに到着する以前からアメリカ人であったのです。彼らは、清教徒たちをもたらした、まさに同じ移住の一部であり、同じ自由を求めて殺到してきたわけです。彼らの物語は、強烈に感動的な文学的素材であり、自由と民主主義を鼓舞する源泉になっていると思われます。「自由の女神」の台座に刻み込まれた題字は、依然として重要なのです。

 アメリカニズムは異質なものを歓迎します。ですから、もし私たちが別なモットーを掲げるとすれば、私はこう提案します。アメリカを異質なもののために安全にしようではないか。「多様性による統一」のために働こうではないかと。私たちがそのことを試みなら、私たちのなかに多少反対者もいますが、多様性に対して重要だとか好ましくない等ということはなくなるでしょう。お互いにあるがままの私たちを受け入れようではないか。もちろん私は、人はすべての人を愛さなければいけない、というつもりはありません。好きとか嫌いとか、冷淡な態度をとるのは、その人がアルバニア生まれだからとか、ヤンキーだからとか、移民船の三等で渡って来たからとか、系図にメイフラワーの花を自慢できるから……というのではなく、その人自身の本質的な価値に基づかなければならないのです。

 私たちは、人間に関心を持ち、創造的、主体的になる方向へ訓練され、あるいは自らも訓練する必要があります。なぜなら、人はそれぞれ多少違っているからです。違っているがために、その人が個人として私たちに与え発展しつつある文化文明に貢献する、何か普通とは違ったものを持っています。エマソンはこう言っています。「友人が私に魅力を与えるのは、彼のなかに〈自分にないもの〉があるからです。」

多様性を招きそれに関心を持つことは、民主国家における統合を生み出し、国家をダイナミックにさせるのに役立つでしょう。また、外国人居住区やゲットーや移住制限地区のような強制収容所には反対の行動をとり、移動と拡散を奨励し、と同時に、調和と融合のために有効に作用するでしょう。多様性を招くことは、人間の根本的な同一性を導き出します。まさにその反対が、より際立った相違のみに帰するように。多様性を招くことは優越性と劣等生――いずれも同様に悪いもの――を解体します。

 多様性をもたらすことは個性を築かせ、それによって問題が持ち上がるさいに取り組ませる能力を国家に与えてくれます。私たちは最近この国で私たちの問題をうまく処理していません。大部分、私にはそう思われます。といいますのは、私たち多くの者が、グループによる口論や偏見、悪口、そしていかにも馬鹿げた人種論議や態度に巻き込まれて、人格や個性、独創性や意志……をぐぢゃぐちゃに砕き燃え尽くしているからです。

 では、どうしたらよいか。……ニューヨークやその他のところで、私たちの仲間(「アメリカ統合共同評議会」と私たちは呼んでいます)は、これらの考えを長期にわたって政治家がやるような運動へ向ける計画に取り組んでいます。私たちは教育や文芸、映画、ラジオその他の機関に文化的な力の協力を要請しています。

 個人的には、私が述べたプロジェクトでは、それは一つのシリーズ本になる予定ですが、古いアメリカと新しいアメリカの知的、感情的統合の方向へ働かせるつもりです。つまり、メイフラワー号と移民船の三等室、ニューイングランドの荒野と都市スラムや工場制度の社会的・経済的ジャングル、「自由の鐘」と「自由の女神」、といった知的、感情的統合の方向へです。古い「アメリカの夢」は、移民たちが「自由の女神」はじめて目にしたときの感動に絡み合わされるべきです。二つは一つの物語に合体されなければなりません。

 私は今後やりたいことが沢山あります。特に私が強調したいことは、『私のアメリカ』(一九三八年刊)の中で明らかにしたように、アメリカは完結した完璧なものでも全くなく、多様な道の一つの過程にあるということです。前途は長く、そして私たちは辛抱しなければなりません。私たちは個人やグループのエゴを抑えなければなりません。私たちの素性や宗教がどういうものであれ、期待するほどには完璧なものにはならないということを認識しなければなりません。私たちの現在の価値が完結したものとしてではなく、その大半が未来のための素材だということを強調しなければなりません。要するに、おたがい屈辱を与えたり、深く傷つけ合うことをやめ、謙虚になることです。また、私たちの名前がハミルトン、スタジンスキー、ジジェリオニス、ブラウン・キクチであろうと、ロドリゲス、シュミット、クリスマンチッチ、クーリッジ、スタインバーガーであろうと関係なく、私たちすべての者を含めるアメリカニズムを打ち出す必要があります。そうすることによって、私たちはおたがい恐れや弁解、躊躇、当惑、孤立した状態ではなく、プラス志向の知性、愛情、希望を持って、その範囲でこの国で個性的なアイデンティティを達成し、その問題に取り組むことができるのです。

 これは、大雑把にいって、現在の私の作家としての仕事ですし、いずれ他の作家や教育者、歴史家たちの仕事になってくれたらと思います。しかし私たちは、いろんな方法でその問題――教育、独学、自制心の問題――に取り組むことができます。

 おそらく皆さんは、私のプロジェクトあるいは調査を支援してくださるでしょう。私が知らなければならないことを皆さんは知っていると思います。

 このような問題を手助けするために、皆さんにできることが沢山あります。……もしあなたが新聞の編集員であれば、新移民のグループや彼らの問題について、たまに一連の記事を載せて下されば大いに役立ちます。一般に一部の新聞で報道しているように、特に「クレブランド・プレス」紙がそうですが、彼らの活動を取材することができます。

 もしあなたが図書館員とか書籍人であれば、O・E・ロールバーグの『大地の巨人』や、ウィラ・キャザーの『わたしのアントニーオ』、あるいはセオドア・ジョーゼンセンとメアリ・ソルムによるO・E・ロールヴァーグの最近の伝記とか、カールウィッケ教授による最近出版された『アメリカを作ったわれわれ、移民のサガ』のような作品を推薦するでしょう。そして、ヴァン・ワイク・ブルックスの『花咲くニューイングランド』、カール・ヴァン・ドーレンの『ベンジャミン・フランクリン』、カール・サンドバークの『リンカン』、フリーマンの『ロバート・E・リー』、エリザベス・ページの『自由の樹』のような古いアメリカとその価値を扱った本とか、初期から今日までのアメリカのマイノリィティに関してのコメジャーとネビンスのアンソロジー、『アメリカの遺産』を推薦するでしょう。また、この国の動機や推進力に、旧移民と新移民の血を引くアメリカ人たちの感情と知性をかみ合わせるのに役立つ数百冊の良書があります。それらは彼らが読まなければならないものです。

 学校は、教育目的のために学生や教師の素性を開発していくべきです。素性の素材とシンボルを表示されるべきでしょう。いわゆる「外国人」の生徒を多数抱えている学校は、定期的に彼らの素性を扱う講和や講演を行なうべきです。教師は生徒のあいだで偏見の発露に気を付け、それに対処する方法を考えるべきです。

 私たちは多くのことを行なうことができますし、あるいは避けることができます。私たちは、「帝国主義」を力説したり、自らの知性のなさを隠蔽するために、ことあるごとに「在留外国人」に罵声を浴びせたがっているワシントン政府の政治家を含む一般の政治家を監視できます。……私たちは異なる素性を持っているがために他者を受け入れることができますし、あえて出会いや交流をすることさえできます。ほとんどのグループでは、あまり排他的になったり分裂し過ぎています。もっぱら過敏になり過ぎて苦しんでいるグループもあります。私はこの神経過敏さの理由はわかりますが、そこから離れようとする意識的な努力が必要です。私は地域の中に小さなグループを作ることを勧めています。様ざまな素性を持った人たちが集い、おたがい情報を交換できる方法や手段を創り出すためのものです。

 私たちの素性がどういうものであれ、またそれに対する偏見があろうと、恥じるべきではありません。そのようなことを恥じることは、人格と内面性を傷つけ、外見上否定的な人間に変えてしまいます。私たちは自分の素性からあらゆる長所を見つけ出し(短所にはあまり敏感にならないように)、それが現在この国での人生に有効である限りはしがみつくべきです。これはどんな個人あるいは集団のエゴや誇りとも一切関係ありません。それにしがみつくことは、その人個人のためになり、またより有能な人間をつくる力にもなるでしょう。しかもそれによって、数多くの間接的な、しばしば目に見えない形で発展しつつある文化全体に、この新世界の全体的な人生の音色に、何らかのものを補足するでしょう。……以前は、新しいグループの多様な文化的価値をあまりに放棄させ、消滅させ、弱体化させ過ぎていました。いまだにそれによる個人とアメリカの損失は甚だしいものです。

 言葉遣いにも気を付けるべきです。たとえば、ハンキー、ポラック、カイク、ジャップ、ゴイ、ニガー、チンク、グリーサー、ウォップのような言葉や表現で使用できるのが不快なのは、やはりそれらが人を侮辱しているからです。「人種」という言葉はよく注意して使われなければなりません。実際にスラブやイタリア、ユダヤあるいはスカンジナビア人種はいないのです。人びとの間に存在する違いは、主として、理想、歴史、経験の違いに基づいています。私たちが同じ環境で暮らしながら、同一のものになりがちな共通の人生を歩むとき……「マイノリィテイ」は悪意を含んだ言葉、ヨーロッパ人の言葉になります、つまりヨーロッパでは悲劇的性質の重要な相の象徴です。「メルティング・ポット」は取るに足らない用語であり概念です。それは、あらゆる人が熱によって他の何らかのものに変えられるということです。

 私たちは困難な時代に生きています。私は現代の世界危機がどのように発展していくのか、あるいはこの国がそれに関して結局どのようになっていくのか、わかりません。しかし、たとえ何が起きようとも、注意深く理性を働かせたいものです。……アメリカには一千五百万から二千万のドイツ人の素性を持った人たちがいます。彼らは同一のものであり、親ドイツ協会(ドイツ系アメリカ人が一九三六年にアメリカで組織した親ナチ協会)は別なものだと記憶すべきです。ヒトラーは向こうにおり、トーマス・マンはここにいるということを。(同じことはイタリア人のグループにも言えます。)

 現在のところ最悪の事態は旧世界に訪れていませんが、私たちはヨーロッパにおける文化的消滅の始まりを目撃しているかもしれません。私たちは西洋文化のより良き面を支援し、それらをアメリカ文化の構成要素にすることが、この国での私たちの務めとなるでしょう。私たちにはこのような仕事をするための素材が豊富にあります。

 この国が形成されたとき、ジェファソンが述べた言葉のなかに、「世界の希望がここにあると信じる人びとがいる」というのがありました。きっとそうでしょう。でも私たちは用心しなければなりません。私たちは個人でまた集団で頭を働かせる必要があります。私たちは深刻な経済的、社会的問題を抱えています。それらの問題の解決にとりかかるとき、私たちは、偏見と非寛容が「アメリカの夢」を悪夢に変えさせないように見守っていかなければなりません。

 未来は、世界同様、私たちの未来は、「多様性による統一」にあります。私たちが持っている多様な素性は、重要で価値あるものです。しかし結局は、長い目で見れば、それ自体完璧なものでも最終的なものとしてでもありません。それらは、私たちのアメリカ文化に対する素材としてのみ重要で価値あるものに過ぎません。私が言ってますように、人類がこれまで工夫あるいは経験してきたもの以上に満足させる、普遍的、全人類的な文化を創造するチャンスがいま到来しています。

 「アメリカの夢」は美しいものですが、それを生かし続けるためには、それを悪夢に変えさせないようにるためには、私たちはときどき目覚めなければなりません。

From Many Lands by Louis Adamic
Trans: Shouzou Tahara(Japan)

Plymoth Rock and Ellis Island-trans:Shouzou Tahara
Copyright © Shouzou Tahara


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