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Saturday, April 10, 2010

Louis Adamic on Twitter ツイッターでL アダミック 2

Louis Adamic on Twitter ツイッターでL アダミック2

・名前 電子書籍ebook
・現在地 JAPAN
http://twitter.com/ebook_global
・Web http://www.synapse.ne.jp/saitani/
・動き出した電子書籍、最新ニュースのポイント、環境、国際的な作家の紹介、ジャーナリズムその他、有益な情報をご紹介します。ebook_global

.of a free World State." -The New Palestine,November28,1942- Louis Adamic

a free Croatia, and a free Serbia in a free Balkan or southeast-European confederation in a free United Europe, which is part of

of a world organized upon the basis of an intense consciousness of all people's interdependence and also for a free Slovenia,

「A Free World State」"… I am for a free Jewish homeland in Palestine which is not anything exclusive and separate but a part of

アダミックは旧ユーゴの最も危機的な時代のスポークスマンであったし、彼ほど海外から祖国に貢献した人物はいなかったが、戦後なぜかピタリと黙して語られていなかった。HPに書いたように私の長年の疑問である。しかし少しずつその原因が分かりかけてきた。真実は、いや歴史事実を明らかにせねば!

アダミックと祖国ユーゴスラビア・スロヴェニアとの国家的関係を大まかに辿ってみたが、彼の先見性と、大局を捉えるジャーナリストとしての第一級のセンスを私は感じる。

「私はまた、自由な世界政府の一部である、自由なヨーロッパ連邦の、自由なバルカン連合あるいは南東欧連合の、自由なスロヴェニア、自由なクロアチア、自由なセルビアに賛成である。」  1940年代、アダミックの「世界の多様性による統一」は最終的には、「真の国際連合」の創造にあった。

☆1942年にアダミックはこう語っている。「私は、完全に排他的でも、完全に分離されたものでもない、あらゆる人間の強烈な独立意識を根底においた世界の一部でもある、パレスティナの自由なユダヤ人の国土に賛成である。

「世界政府シャドーキャビネット」を準備すべきときではないだろうか。ひょっとすると、唯一の被爆国、日本は政治や環境、文化などの面でそのリーダーシップをとれるチャンスがあるのでは、と夢想したりするのだが...。

*「世界の多様性の統一」-しかしそのフレームワークは、思いの外、早く実現するかもしれない。いまや世界はインターネットによる情報高速化時代を迎えている。そろそろ国連は、世界各国の有識者もしくは大学の研究機関と協同して、「世界の多様性による統一」のための

それは実現できたが、しかし世界の「多様性による統一」は、現状では見果てぬ夢となっている。"The future, ours and the world's, is in unity within diversity." Louis Adamic

⑧「世界の多様性の統一」アダミックは193、40年代アメリカの「多様性による統一」の最大の推進者であり、エスニック研究のパイオニアであった。Adamic is the pioneer spirit of ethnic studies in the United States 。

⑦2004年 EU(欧州連合)誕生。1941年11月8日アダミックはニューヨークでその詳細 を講演。アダミックのプロジェクトの一部「アメリカ復興使節団」としてヨーロッパ連邦を提言。郵便、貨幣、統一などEUに類似。スロヴェニアは2007年1月にEUに加盟。東欧諸国その他が続く。

⑥1991年にスロヴェニア独立宣言。  The native's Return 1934(邦訳タイトル『わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』)で、「いつの日か...」と予見されている。

さらに500頁を超える引用、関連文、注など。*国際的にも冷戦をスタートさせる戦後史の最も重要な時期であり、アダミックがいかにそれに関わったか詳細は後で書く 。

⑤1948年-1951年1949年1月、17年ぶりに二度目の帰郷をし、新政権のトップの指導者らと政治、経済、歴史、文化について討議した新ユーゴスラヴィアのドキュメント。最後の本『鷲とそのルーツ』(1952年 死後出版)、未出版『激震の中のチェスゲーム』

My Native Land 1943 を出版。ユーゴスラヴィア人民解放委員会から統一勲章を授与。

To Win Unity and a Decent Future,1941-1945" 1945」-編集「解放――ファシズムに死を! 人民に自由を!…」南スラブ系アメリカ人統一委員会-を編集し出版。またスロヴェニア系アメリカ人国民会議(SANS)名誉会長となる。

「"Ed.Liberation. Death to Fascism! Liberty to the People! Picture Story of the Yugoslav People's Epic Struggle Against the Enemy-

④第二次世界大戦下。1941年-1945年 故郷がナチドイツに占領されると、戦局の悪化とともに、ファシストと闘うパルチザンをアメリカで初めて支持。ユーゴスラヴィア系アメリカ人統一委員会議長に選出され、同委員会の機関誌「ブルティン」を自ら編集し創刊する。

*Two-Way Passage 1941 の中で詳細に述べられている。ユーゴ、南東欧、欧州に対しての声明文は、民主主義体制に基づいた各民族の対等とか、市民権とか、自由、平和、人権、正義などに配慮されたもので、ユーゴ系移民の将来のために米国民の前でその「保障」の公言を求めている。

③1941年「新ユーゴスラヴィア」建国樹立のメンバー、Frano Petrinovic, Stoyan Pribichevich, Nicholas Mirkovich, Vaso Trivanovichに加わり、民主的な新しい国家案をロンドン亡命政府、ペータル国王のもとへ送付。

My Native Land 1943 を出版。ユーゴスラヴィア人民解放委員会から統一勲章を授与。だが一方では、メディアやユーゴスラヴィア系アメリカ人から「コミュニスト」とレッテルを貼られ、さんざん叩かれる。アダミックが著書で主張していたものは、実に民主的なものであったが。

To Win Unity and a Decent Future,1941-1945" 1945」-編集「解放――ファシズムに死を! 人民に自由を!…」南スラブ系アメリカ人統一委員会-を編集し出版。またスロヴェニア系アメリカ人国民会議(SANS)名誉会長となる。

②1932年に19年ぶりの帰郷。The native's Return 1934、Struggle 1934 を出版し、ユーゴ独裁政権崩壊へ導く。アレクサンダル独裁国王はマルセイユで暗殺され、独裁政権崩壊、王子はロンドンへ亡命。

①大戦前、1912年、オーストリア帝国主義に反対する革命的な「南スラヴ(ユーゴスラヴィア)国家主義運動」の学生デモに参加し、逮捕、拘留され、ギムナジウムを退学される。14才で単身アメリカへ移住。

アダミックと祖国ユーゴスラビア・スロヴェニアとの国家的関係を大まかに辿ってみると

地球規模で進展するボーダレス希求、多種多様な価値観の発見、世界の多様性を追求したスロヴェニア出身の著名なアメリカ移民作家を通して時代を読む、民族、国境、時代を越えて心に響く作品集(翻訳書)! http://bit.ly/a2kTrL

「ジャングルの中の笑い」を改訳中だが、H.Cの作品の読みの深さにただただ吃驚。以下の論文(解説)「ドライサーを超えて...」 "Beyond Dreiser: Louis Adamic's Laughing in the Jungle"  by prof.H.Christian

そして本文入る前頁に、"I think there is fatality in it--I seldom go to a place I set out for." -- Laurence Sterne 《A Sentimental Journey》 とある。

アダミックにとって、生涯一度も(スターリン治下の)ロシアに入国できなかった。あらゆる努力を試みたが、ビザを取ることができなかった。アダミックの遺著『鷲とそのルーツ』の一章の見出しに、"I really wanted to go to Russia first, but-”とある。

☆アダミックの死の原因ともなったといわれる『鷲とそのルーツ』だが、編集者が三分の一削除したと書いているそのタイプ原稿もまだ見つかっていない。ユーゴ政府による明らかな検閲。「チトーの役割」や最も肝心の論争が削除され、その原稿もまだ行方知れず。Zitnikの論文から読み解いてみる。

☆アダミックが、国家も、人種も、宗教も、イデオロギーも超えて、たった一人命尽きるまで闘った1947-1951年は、戦後世界史のターニングポイントであったのだろう。 IF。

ユーゴスラビア-ソビエト危機を背景に、討議は一方は、マルキストによるイデオロギーの立場から、他方は、政治的独立の見解に立つアメリカ作家、という形で闘われた。(prof.dr.Zitnik)

その中の大部分は、Marshal Tito, Vladimir Dedijer, Edvard Kardellj, Boris Kidric, Milovan Djiasその他、政治、経済、文化の代表者らとアダミックとの討議の要約である。

before the Committee on Un-American Activities....」  ☆新生ユーゴスラビアについて書かれた『鷲とそのルーツ』はアダミックの死の九ヶ月後、1952年に出版された。

If we don't try to avoid World War Ⅲ, it is ludicrous to worry about being called Red, a Communist, or whatever; or about being hauled up 

If we don't try to avoid it, it is vain to wonder about the kind of curtains you will hang up in the spring. ...

「Whether or not we can avoid World War Ⅲ, I don't know; but I feel that if we don't at least try to avoid it, nothing else is worth doing.

☆アメリカの広島・長崎の原爆投下により、アダミックは世界がすでに核時代に入ったことを明確に認識していた。「鉄のカーテン」が引かれ、世界は東西のイデオロギーの対決により、軍拡競争へまっしぐらに進む。1947年1月アダミックは、ニュージャージー州オレンジのユニタリアン教会で講演する。

did not think of as distinctive in those days." Adamic, Robinson Jeffers: A Portrait (Seattle: University of Washington 1929)

with an eye for significant detailes. Rereading the book, I am reminded of qualities my father had that I took for granted and

as a description of the man and the work he did up to the late twenties. Concise and unpretentious, it is perceptive and written

"Robinson Jeffers: A Portrait" 1982 forword by one of Jeffers' twin sons Garth Jeffers "but I think Adamic's short book is unexcelled

☆『ロビンソン・ジェフーズ-詩人の肖像』1929年にアダミックによって出版された、ジェファーズの初期の重要な作品。1982 年にジェファーズの息子の「前書き」を付けて復刻された豪華版。「他にまさるものはない」と評価している。

『わが祖国』1943年 / A Nation of Nations 『多民族国家』1945年 / Dinner at the White House 『ホワイトハウスの夕べ』1946年。 / The Eagle and the Roots 『鷲とそのルーツ』1952年

☆アダミックほど国外から祖国ユーゴスラヴィアに貢献した作家はいなかった! 第二次世界大戦に関するアダミック作品。Two-Way Passage『二つの道』1941年 / Inside Yugoslavia『インサイド・ユーゴスラヴィア』1942年 /My Native Lands

竜馬の脱藩に、私は条件反射的にアダミックのアメリカへの移住を想起する。14才のアダミックはギムナジウムを退学となり、フランスのルアーブル港からアメリカへ移民船で渡る。彼にとってアメリカしか道はなかった。

アダミックほど国外から祖国ユーゴスラヴィアに貢献した作家はいなかった! 第二次世界大戦に関するアダミック作品。『二つの道』1942年/『わが祖国』1943年/『ホワイトハウスの夕べ』1946年。/パンフレットは

週刊現代 賢者の知恵「男の夢 坂本龍馬の「脱藩」を論じよう」 http://bit.ly/d0kuMM

再読 アダミツクの「バルーカス族の王 ルーカス」。 副題は「不思議な王国の物語」。フィリッピンの1930年代の歴史を意識した物語。あるいは祖国スロヴェニアも...。解説はpro.dr.H.A. Christian 前書きはスロベニア語版訳者pro.dr.Tine Kurent

アダミックにとって故国に帰ってはじめて、アメリカが「移民の国」であることがよく理解できるようになる。そして同様に、様々な民族や宗教が入り交ざった多民族国家ユーゴスラビアの重要性をはっきりと認識するようになる。

『ジャングルの中の笑い』(1932)がアダミックの1909~1928年までを描き、『私のアメリカ』(1938)が1928~1938年までを描いたアダミックの「自叙伝」である。

マッカーシーズムその他アメリカの国内政治問題、朝鮮動乱、スターリニズム、非同盟の道を歩み出したユーゴのとの関係、アダミックは朝鮮動乱を第三次世界大戦の始まりと見ていた。

アメリカ国内だけでなく国際的問題における闘いである。最後も闘いは、ひょっとすると戦後の世界史においても重要かもしれない。

アダミックのジャーナリストとしての本領を発揮するのは、1940年からの10年間だ。30年代から集大成としての人種、民族、マイノリィティらに対する偏見・差別との闘い、次に第二次世界大戦下のファシストとの闘い、そして1947年頃からアダミックの死までの

Harvard encyclopedia of American ethnic groups 著者: Stephan Thernstrom http://bit.ly/aomW9v

アダミックが『私のアメリカ』(1938年)の中で企画したが資金難でできなかった「エスニック百科事典」をハーバード大学陣がさせた。そのアダミックに対する献辞がIntroductionの最初に見られる。

Wanted sp ads Suponsabana  http://www.synapse.ne.jp/saitani/ http://immigrantebook.blogspot.com/

1930-50年にかけて、恐らくアダミックが成し遂げたこと、成し遂げようとしたことは、そのスケールの点で、又その凄まじい情熱の点で、同時代の作家とは比較にならないかもしれない。まだ殆んど知られていないが証明したいものだ。

JF.ケネディ著『A Nation of Immigrants』(1964)の第一章にウォルト・ホイットマンのタイトルを使用したのだ。 アメリカは「移民の国」である。

アダミックはホイットマンの"Here is not merely a nation but a teeming nation of nations."の示唆をうけて『A Nation Of Nations』(1945)を書き、J.F.ケネディは

☆アダミックはその年に出版した『多くの国々から』で「世界の人種関係において1940年度の最も重要な本」としてジョン・アニスフィールド賞を受賞している。

エレノア・ルーズベルト大統領夫人、アーチボールド・マクリーシュ、ヴァン・ワイク・ブルックス、パール・バックらが名を連ねていた。アダミックは、第二次世界大戦の緊急な問題に関わり、初代編集長として実質1年半携わったにすぎない。

その雑誌からはさまざまな人種のエスニック作家が巣立っていった。そのスポンサーは、主流リベラル組織、主としてカーネギー財団によって創設された「アメリカ統一委員会」(Common Council for Ameican Unity)によるもので、そのメンバーには

☆「COMMMON GROUND」(1940-49)は、「アメリカ・エスニィティ史のキーフィギュア(鍵となる人物)」ルイス・アダミックによって発案され刊行された、アメリカ初のエスニック季刊誌である。アメリカの「人種的-文化的状況」を探求することが目的で、

生前マスメディアに散々叩かれたアダミック。歴史的事実を歪まされるなら、その「修復」がいかに大変か、とPro.H.Christian。世の中、偏見、ステロタイプ、レッテル張りが跋扈して「事実」が軽視されるようになれば、検証=正統な評価には莫大な時間が要る。何よりも歴史と時間のムダ。

アダミックのアメリカの1930~4 0代のアメリカの文化的貢献は素晴らしい。ハーバート大学の編集陣は1981年に「エスニック民族辞典」を出版し、アダミックが1938年に『私のアメリカ』の中で企画したプロジェクト(資金難で実現しなかった)を実現させた。その献辞は

ギリシャ系、オラ ンダ系アメリカ人、そしてクロアチア、ボヘミア、ポーラ ンド、スロベニア、アルメニアなどの個々の民族集団の物 語を扱い、さらには黒人やアメリカン・インディアンの問 題にまで言及した。

1940年にアメリカの代表的な黒人作家リチャード・ライトは『アメリカの息子』Native Sonを出版し、L.アダミックは『多くの国々から』From Many Landsを出版した。アダミックはその中でドイツ系ユダヤ人の二世、日系アリカ人二世、フィンランド系、メキシコ系、

NIKOLA TESLA by L Adamic 天才ニコラ・テスラ 20世紀の人物世界遺産、誰も異論はないであろう、友人アダミックの渾身の追悼文。http://bit.ly/9Kwh33

その「自叙伝」の中で優れていると思われるのは第一次世界大戦の戦争物語。アダミックの実際の体験を物語っている。HLメンケンの「アメリカン・マーキュリー」に載せた無名のアダミックの物語をフィツジェラルドが「絶賛」したのもわかるような気がする。

目下アダミックの「自叙伝」『ジャングルの中の笑い』を改訳中。もう15、6年ほど前に訳したものだから、ちょっと恥ずかしいね。「自叙伝」といってもアダミック30歳までの体験を語ったもの。その後は『私のアメリカ 1928-38』に続く。

特にアメリカ、ユーゴスラビアから研究者が集まった。故Prof.H.A.Christian はアダミックの評伝 "Louis Adamic: A Checklist”1971を遺してくれた。いわばスターラインだね。

NHK「竜馬伝」も面白くなってきた。Ryouma Sakamoto. 弘松宣枝著『阪本龍馬』(坂でなく阪)の伝記が民友社から発行されたのが明治29年、坂本竜馬没後30年。Louis Adamic アダミック国際会議・シンポジウムが行われたのが、没後30年。1981年。

「In America everything was possible. There even the common people were "citizens," not "subjects,"...」 Louis Adamic  

しかし14才のアダミックは、オーストリアの「臣民(subject)」になるよりも、アメリカの「市民(citizen)」になるほうを選ぶ。そしてそれ以外に彼の道はなかった。

大金がアメリカから流れ込んでいることは確かだ」と演説した。「だが」と、プロパガンディストは訴えた。「それはその価値に値するのか? アメリカは移民たちの肉体をボロボロ、ズタズタにし、魂まで侮辱し、移民たちの素朴な精神的、美的な感受性を奪い、祖国の美しい方言や習慣をも腐敗させ、そして

「しばしば、秘密の集会でアメリカへの移民問題が持ち 上がった。運動の指導者は、「打倒、オーストリア! 打倒 、アメリカ! オーストリア政府は善良なスロヴェニア農民 たちをアメリカへ送り込み、アメリカ政府は彼らを食い物 にしている。

しょっちゅう、僕らは警察から尾行されていたので、すごいスリルを感じていた。」/「一般に僕らは、「自由の女神」のロマンチックでまぬけな信奉者だった。僕はその運動の背後にある考えをあまり信じていなかった。..僕らは面白半分で-それが危険でわくわくさせたので-その運動に参加していた。」

ハプスブルグ家の紋章を踏みつけたり、オーストリア国家についての口汚いパロディを歌ったりした。夜には市中を歩き、チョーク差し棒で武装し、そして官庁ビルの前や壁の歩道にオーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝の名前にちなんで、侮辱する言葉を落書きした。

「自叙伝」で、その熱狂的なリュブリャーナでの生活をこう語っている。「ヤンコと僕は、その組織の秘密の集会に参加し、オーストリア政府の憲兵から目を付けられていた、この運動の大人の指導者やアジテーターによる興奮した演説を聞いた。僕らはほかの少年たちにまじって、

そして学生デモの最中、友人はオーストリア兵に射殺され、アダミックは数箇所負傷、死者二人、重軽傷者4、5人、全員学生だった。

☆アダミックが退学となった運動とは、第一次世界大戦前にオーストリアの南スラブ地方で起きていた汎革命的な「南スラブ人国家統一運動」である。冒険心に富んだアダミックは、その秘密の学生政治クラブに加わる。

誌魂生まれる国スロヴェニアの国民詩人の映画化などで数々の賞を受けているようだ。私はアダミックの映画化で何度かメール交換をしただけで詳しくは知らないが、Slakの死は本当に残念だ。資金不足はいつの世もつきもの、私の翻訳物もそうだが、時間には限りがある。

アダミックの映画化はいずれ必ず実現されなければならぬ。小国スロヴェニアが国際的に評価される数少ない「人物遺産」だろう。Franci Slak, Slovenian Film Directorの死は本当に残念であった!人材はすぐにはなかなか準備できない。ある意味で時間との勝負だ。

「南スラブ人国家統一運動」を支援する革命的な学生デモに参加したために、入国できないかもしれないという不安があったのかもしれない。アダミックは一時拘置所にその後退学になっている。友人は実際にデモ行進の最中オーストリア兵に射殺されている。アダミックにとってアメリカしか道はなかった。

☆スロベニア出国記録に「生年1899年、13歳」としているのは一体どういうわけだろう。何かがありそうだ。そして米国入国の際は年齢を「16歳と8ヶ月」とごまかしている(実際は「14歳と9ヶ月」)。名前もアメリカに到着する前にすでに「Mr. Adamic-Louis」と準備していた。

12:35 AM Mar 23rd webから アダミックの生家の壁に彫られたレリーフも「1899-1951」となっている。しかし現在では「1898年」が正確とされている。それ以外の点でも私はアダミック研究者の故Prof.H.A.Christianの記述に従っている。

☆今日3月23日はアダミックの誕生日。アダミックは名前の表記や呼称、生年月日、米国入国年、米軍入隊年、など不明確な点が多い。例えば生年だが、これまで百科事典や新聞雑誌などでは1899年となっていた、今でもほとんどがそうなっている。アダミック自身も生前その年で通していた。

アダミックの全体像を知るには、古いが「評伝」、Louis Adamic:Achecklist 1971 by Henry A Christian -邦訳は私の訳で 「二つの世界に生きる」(上 No.57 p35-47)(下 No.64 p57-74)世界文学界会誌に掲載しました。

☆ブログ☆東欧移民「約束の土地」アメリカへ-スリリングな自伝的物語 http://emigrants-statue-of-liberty-promisedl.blogspot.com/

アメリカへの移民は1892年から1954年まで1,200万人。ピークは1892年から1924年の間の32年間で約120万人。アダミックもその時にやってきた。

電子書籍販売サイト:制限時間2分、立ち読み可(無料)。大手出版社も採用しているT-Time形式 ダウンロード版ルイス・アダミック作品集 Louis Adamic http://immigrantebook.blogspot.com/2010/02/blog-post.html

「小型のエリスアイランド号は白波をけたてて全速力でバッテリ公園へ向かっていた。 僕はニューヨークに、アメリカにいたのだ。」 大晦日、14歳のアダミックは新世界で丸一 日を過ごす。

検査官はでっかい机を背にして、高い壇上に ふてぶてしく座っていた。まるで故国の役人に そっくりだった。...長い取調べ、そしてよう やく2日目に解放される。

船から艀で「移民を洗濯する」エリス島へ運ばれ、そこで2日間入国検査をうける。  「エリス島で過ごした日は、長い一日のように思われた。...移民たちの間で、ある者はアメリカへの入国を許可されず、ヨーロッパへ送還されるという噂が飛び交っていた。僕は何時間も冷たい椅子に座っていた。」

色とりどりの民族衣装に身を包んだ移民たちは、背伸びして新しい国や街を一目見ようと車地やウィンチの間をぐるぐる回り、手すりに押し寄せ、また自由の女神像を見させようと子供や赤ん坊までも抱き上げ、女たちは歓喜でむせび、男たちは跪いて神へ感謝し、子供たちは歓声をあげ手をふり躍っていた。

僕は頷いた。あまりの凄い景色に目が眩んだ。ナイアガラ号が前方の船に通過する合図の汽笛を鳴らしたとき、不思議な、意気揚々としたものを感じた。僕は、汽笛同じくらい、大声で叫びたかった!

から いたが、僕は何ひとつ聞いていなかった。僕はもう、全身が震えんばかりだった。「あれがビルディングだ」と、ピーターが言った。「ほら、霧の中、ウールウォースタワーだ。見えるかい?」

1912年12月28日、-ニューヨークはからりと晴れて冷たかった。岸壁には雪が残っていた。船が自由の女神像の前を過ぎるとき、ピーターと僕は甲板に出ていた。女神像の大きさがいやに目に焼きついた。僕はローアー・マンハッタンのスカイラインのほうへ目を向けた。ピーターは何やら話しかけて

そのあと、スロベニア語でこう付け加えた。「君はこれからアメリカへ感動と冒険を求めて行くんだ。恐れちゃだめだよ。君なら絶望はしないだろう。どれもたっぷり味わうさ」

ニューヨーク港に到着する前日、小説上の人物がアダミックに英語でこう言う。-「君ならアメリカでうまくやっていけるよ、たとえそこがジャングルであってもな」それを僕は、彼のほんのちょっとの助けで理解した。

そしてオーストリア系イタリア人もまざっていた。みな一路、「約束の土地」を目指していた。

14才と6ヶ月のアダミック少年の旅立ち。1912年12月14日、ナイアガラ号はフランス、ルアーブル港から出航する。大半が移民たちを乗せていた。ポーランド人、スロヴェニア人、チェコ人、クロアチア人、スロヴァキア人、ボスニア人、さらにユダヤ人、ギリシャ人、トルコ人、ドイツ人、

/ 母は父ににこっと笑みを浮かべ、それから僕にも笑みを浮かべた。「そうだな」と、父も頷いた。「こいつはまだ大きくなるよ」...。

母は泣くのをやめ、父は祈りと呪文をやめた。それから、二人は雹でやられた作物を見ながら、畑の中を歩いていた。僕も一緒に歩いた。母のうれしそうな表情が、突然、晴れ晴れとなった。  / 「ほら、ここは雹の被害をほとんどうけていないわ。大目に見たんだね。まだ大きくなるわ」

や未成熟の玉蜀 黍が大部分駄目になったときと、まさに同じこ とだった。僕は雹の渦巻きに脅えている母の姿 を見ていた。母は涙を流しながら、戸口から聖 水をばら撒き、そして父は、母と呪文を唱えて いた。しかし、いつしか嵐は過ぎ、まるでうそ のように太陽が顔をのぞかせると、

「翌朝、何もかもがふたたびび静かになった。嵐は過ぎ去っていた。父と母には、純朴な人によくある子を思う親心ゆえの、いじらしさがただよっていた。僕が退学になったことと、その後の神学校へ入るのをためらっことの彼らに与えた影響は、あの初夏のすさまじい雹の嵐で、わずか一瞬のうちにジャガイモ

...多くの者は金持ちに這い上がるよりも根絶やしにされるんだ。」   / 農家の長男として、また多額の学費にもかかわらず、街の教育を受けさせたがっていたアダミックの父。そして「根っからの農民」父親に似ていたアダミック。

しかし、アダミックは成功した移民がごく僅かだと知る。アメリカ帰りの男は、移民たちは新世界におびき寄せられて使い捨てにさせられていると語る。「かつて移民たちはアメリカでは肥やしと呼ばれていた。連中は今だって肥やしさ。アメリカの偉大さの根っこは、相変わらず彼らの食客になっている。

へ行って、ブラト村の農民達が所有している全ての土地よりも遥かに広大な土地を購入していたのだ。アメリカはでっかい。本当にでっかい!」「アメリカではどんなこともできた。普通の人でさえ市民(シティズン)だった。オーストリアや他のヨーロッパ諸国のように臣民(サブジェクト)ではなかった。」

もちろんだが普段の日だって、白パンやスープや肉などを口にすることができた。...」「アメリカでは人は普通の労働者のままいる必要はなかった。...バルカン諸国からやってきた農民や労働者たちでさえ...の炭鉱や鉄鋼所でほんの数年働いてお金を貯め、ミネソタとかネブラスカとか呼ばれる土地



カルニオーラなどとは全く比較にならないほどはらはらさせる、今にも爆発せんばかりの所...」であった。「アメリカでは人は短期間で大金を稼ぎ、莫大な土地を手に入れ、単なる普通の賃金労働者でさえ、ゴスポド(上流階級)のように自分のブーツを磨き、真っ白い襟のついたものを着、そして日曜日は



アダミックの移民の「自叙伝」から。 20世紀初頭のヨーロッパの農民たちにとってアメリカは、「大西洋のはるか彼方数千マイルにある、想像もつかないほど巨大な、実に驚くべき幻想的な場所-黄金卿-いわば天国のような所-あらゆる点で「約束の土地」であり、そしてちっぽけで静かな美しい



地球規模で進展するボーダレス希求、多種多様な価値観の発見、世界の多様性を追求したスロヴェニア出身の著名なアメリカ移民作家を通して時代を読む、民族、国境、時代を越えて心に響く作品集(翻訳書)! http://bit.ly/a2kTrL

it has been important and necessary to understand Adamic's significance to the New Yugoslavia." Prof H.A.Christian *Joza Vilfan駐米ユーゴスラヴィア大使

"...at the 1981 Minesota Adamic Symposium I heard the late Joza Vilfan good for Yugoslavia. In the last forty years

アダミックの「自叙伝」は所謂それまでの移民の自叙伝などとは全く違っている。またスロベニアの翻訳者&編集者へ送った手紙の中でアダミックは興味深いことを語っている。

『ジャングルの中の笑い』(1932年)"Laughing in the Jungle"はAro Press and The New York Times社のThe American Immigration Collectionの第一巻に収められている。

カリフォルニアに住んでいた20代のアダミックは、ロサンゼルスを「巨大な村」と呼び、友人ケアリー・マックウィリアムズと共に、様々な政治的不正や、カルト教団の宗教ビジネス・ペテン性を痛烈に告発したものだった。

--奇妙な猛毒を持った植物、頽廃的な宗教、カルト教団、エセ科学、無謀な企業計画など--で溢れ、...それらはまた一気に利潤を狙いながら、多くの人々を堕落させ、おちぶれさせる運命にあった...ジャングル...。」1932年 

/同じことはロサンゼルス、つまりアメリカにも言えた。ハリウッドからの丘からの眺めは、様々に変化する色彩に包まれ素晴らしい。だが実際は、...ここちよい風が吹き渡っているにも拘らず、そこは老人や死にかかっている人々、疲れた開拓者を親に持つ若者やアメリカの餌食となったもの

アダミック『ジャングル』から-- 「パナマでは一度、山頂から巨大なジャングルを見たことがある。遠くから見ると美しかった、それを眺めていると、本当にそこが蚊帳や獣や大鉈で完全武装せずには踏み込めない、薄暗く、不健康で、危険なところだとはとても信じられなかった。 

岩や樹木やすべての草花と、大地そのものと、そして大地の恵みをうけている人たちと、またそういう人たちの日々の暮らしぶりにできかぎり親しむように。…詩人 オトン・ジュパンチッチ。」―「スロヴェニアの愛」

アダミックの『南スラブ人の心と情』から「…わが子よ、青白い顔になるな、猫背になるな、勉強に夢中になって試験のことなどくよくよ悩まないように。できるだけ自然と親しみなさい。戸外に出て、野原や村や山や森に入り、湖や川へ出かけ、鳥や蛙や昆虫、魚などありとあらゆる種類の生き物たちと、

彼ら移民たちのフロンティアスピリット、苦闘もよくわかる。しかしアダミックがたった一人で1930-40年代に成し遂げたこと、成し遂げようとしたこと、アメリカの文化に対する貢献は比較にならない。

フォトジャーナリストは凄い、世界各国からアメリカに自由を求めてやって来た移民たちの不安と期待、希望の表情を瞬時にして見事に写し撮っている。ケネディ空港でもそれを見た。「自由の女神像」地下にはまた、アダミックよりも古い著名な移民の写真が飾られている。

アメリカ。自由の女神像の地下は「移民博物館」になっている。そこにはフォトジャーナリストによる拡大された当時の移民たちのアメリカに到着した時の写真が飾られている。私はその凄さに圧倒されてあやうく最終便のニューヨークに帰る船に乗り遅れるところだった。最後の一人だった。

移民たちにとって「希望の国、涙の国」アメリカで、アダミックは波乱の生涯を送ることになる。そして「移民」としての誇りを生涯忘れることはなかった。

☆「自叙伝」で語っているように、アダミックは革命的な学生運動に参加しギムナジウムを退学させられていた送還されるのを最も恐れていた。旧世界から新世界へ、14才の少年が「理解の冒険」のために憧れの国 アメリカにようやく辿り着いた。

二等船室にアダミックは「スロヴェニア人はピーターモレクと私だけ」と書いていたが、モレクの名前はない。オハイオ州へ旅する二人の若者の名前が名簿に残っている。

身長「5-6」、肌色「white」/ 目の色「Brown-Chesnut」/ 生誕地「Austria-Krain. Blato」などなど。 二等船室にアダミックは「スヴェニア人はピーターモレクと私だけ」と書いていたが、モレクは名簿にない。オハイオ州へ旅する二人の若者の名前がある。

そこはスロヴェニア系新聞「Glas naroda」がありその編集者だった。のちにアダミックはそこで働くことになる。/ これまで刑務所または孤児院の経験は「no」/ 一夫多妻か「no」/ アナーキストか「no」/ 精神肉体の状態「good」/ 奇形もしくは不具者か「no」/

/ 最終目的地へのチケットは持 っているか「yes」。/ 渡航費用は誰が払ったのか「Self」/ 所持 金は「$50」。入国費用「$17」/ アメリカに友人親戚がいるか 「ニューヨーク市コートランド82に叔父Alois Skulj(実際は母方の 遠い親戚)」。

年齢は「16才と8ヶ月」と答えている。実際は「14才と9ヶ月」だった。出国時の写真からも十分にその歳に見える。リュブリャーナ出国届けでは「1899年生、13才」となっている。/ 職業「none Lab(labores)」/最終目的地は「ニューヨーク市/

名前はAdamic-Louisの手書きをヨーロッパで準備してきていた。すでにアメリカに到着する前から名前は決めていたのだ。/ 読み書きはできるか「yes-yes」/国籍は「オーストリア」/人種は「"スロバーク"(分類上)-スロヴェニア人」/

Edited by Mirko Jurak "RANDOM COMMENTS ABOUT BOOKS, ARTICLES, IMMIGRATION, HISTORY, TIME, AND IDEAS: AN ADAMIC MISCELLANEA"

アダミックの米国移民官との29項目の一問一答は面白い。いずれ映画になる時に使えるそうだ。詳細は、Henry A. Christian (Newark, Rutgers University) "Literature, Culture and Ethnicity"

1:03 AM Mar 19th webから S. S. Niagara sailing from HAVRE, DEC 16 1912, // Arriving at Port of NEW YORK, DEC 28 1912 163 Louis Adamic

航海しているが、乗船記録にはアダミックの名前は載っていなかった。そこで調べた結果、アメリカ公文書に米国入国が詳細に記されていることがわかった。移民局検査官による29項目の一問一答の形で。 アダミックがアメリカのニューヨーク港に到着したのは1912年12月28 日だった。

故クリスチャン教授は「アダミックの移民の「自叙伝」(「ジャングルの中の笑い」1932)を10回ほど読んだが、そのたびに事実とフィクションに惑わされた」と記している。アダミックのアメリカ到着は「自叙伝」では1913年12月28日となっている。フランスのルアーブル港からナイアガラ号で

1940~50年の10年間、アダミックが出した定期刊行物はビジネスではなく、主として読者の「啓蒙」が目的だった。

国連が「文化の多様性」を採用したのは確かほんの数年前だったか。まだ世界は色々な面においての「多様性」の意義や長所についての認識がまだ薄いのかも知れない。

Louis Adamic In Japan http://bit.ly/cgn2 No IMMIGRANT EBOOK for World Diversity! http://bit.ly/9aem77  ルイス・アダミック電子書籍 http://bit.ly/a2kTrL

and provocative figures of the American literary world during the first half of the twentieth century." H.A Christian

1940年以降のアダミックに関しては私はほんの一部しか語っていない。文学だけでなく、国内の文化、政治だけでなく、国際的な文化、外交..あまりにも規模が大きすぎて捉えきれない.. "Louis Adamic was one of the most complicated

アダミックの研究者Prof.Christianに私が日本の好きな人物は坂本竜馬と宮本武蔵と書いた。後でスロベニアのアダミック関係者から武蔵の「五輪の書」を英語版から翻訳したと手紙をもらった。

「ルイス・アダミック年譜」 だいぶ古い。いずれ書き直さなければいけないが。http://www.synapse.ne.jp/saitani/neupu.htm

同じローストジェネレーションの世代として自らの体験を重ねただろうとC氏。そこにフィッツジェラルドの性格も垣間見えた。またアダミックも忘れずに『ジャングルの中の笑い』の中でその喜びを語っている。

アダミックがメンケンの薦めで「アメリカンマーキュリー」誌に第一次世界大戦の物語を掲載したとき、名編集者の目には止まらなかったが、無名のアダミックを「絶賛」してくれたのは、あの『偉大なるギャツビー』の著者スコット・フィッツジェラルドだった。

1930年代独裁政権下のユーゴで、マラリアで荒廃した国土を撲滅に奮闘するクロアチア人医師「ドクター・ヘラクレス」なるアンドリア・スタンパーを紹介したが、解任後、中国南京にマラリア撲滅に派遣され、国連の...戦後の偉業はこのサイトから http://bit.ly/cvObek

☆ブログ☆  http://bit.ly/b3ebYU  日系二世の電子書籍-Best Nikkei Nisei Ebook by Noted Immigrant Writer 二つの祖国を持つ日系アメリカ人二世の苦悩 日本図書館協会選定図書、全国学校図書館選定図書

地球規模で進展するボーダレス希求、多種多様な価値観の発見、世界の多様性を追求したスロヴェニア出身の著名なアメリカ移民作家を通して時代を読む、民族、国境、時代を越えて心に響く作品集(翻訳書)! http://bit.ly/a2kTrL

ルーズベルト政権から学んだJFケネディ政権の「平和部隊」の考えは、アダミックから出ているが、しかしアダミックのもう一つの「撤退」の部分は使用しなかったとC氏。

と自伝的小説『ジャングルの中の笑い』(1932年)のあとがきに書いている。そして二度目に申請したグッゲンハイム奨学金を獲得し、故国ユーゴスラヴィアへ19年ぶり帰郷することになる。 ハーパーズ誌に掲載した帰郷物語がアメリカの読者に大反響となった。それはなぜなのかを、次回に。

アダミックは自らの力で、自分の能力を信じて人生を切り開いていくことになる。感動と冒険求めてやって来た国アメリカ、「この国に来て二日以上は飢えたことはなかった...これまでジャングルは面白かったし、今でも面白い所だ、面白すぎるくらいだ...これからもずっとこの国にどまるつもりだ」

『私のアメリカ』(1938年)の前書きでアダミックはこう書いている。 「基本的に私は思う。私は自分自身を教える立場にある生徒であり、物事の真実捉え、物事を理解しようと努力する探求者である。...私は何かをするために...私は何かのために自己を燃焼させる人間でありたい」と。

☆しかしアダミックにとってはそのほうが良かったのかもしれない。というよりそういう運命にあったのだろう。アダミックの人生はスタートからして異形であった。そして友人マックウィリアムズが述べているように「自分自身のことをよく知って」いた。

おそらくアダミックの経歴のせいではないかとクリスチャン教授。ヘミングウェイなどの作家は大学出のいわばエリートたちで、一方アダミックは14歳でギムナジウムを退学したユーゴスラビアからの「卑しい移民」の出である。しかも労働者上がりの放浪作家である。

アースキン・コードウェルその他多くの若い作家たちも存在しなかったといってよい。 ☆アダミックはメンケンの薦めでアメリカ作家の登竜門といわれた「アメリカン・マーキュリー」に早々と寄稿し、パーキンスの周辺をうろうろしていたが、なぜか彼には声がかからなかった。

☆1920年代から30年代にかけてアメリカ文学の黄金期であるが、当時の若い作家たちを育てたのが、偉大な編集者M・パーキンズである。この編集者なくして『日はまた昇る』のヘミングウェイも『天使よ故郷を見よ』のトマス・ウルフも『グレート・ギャツビー』のスコット・フィッツジェラルドも

☆ホイップル版のスロベニア語訳は1986年に、*翻訳ティネ・クレント、挿絵マリヤン・アマリエッティ、タイトル「Lucas Kralj Balukov」でリュブリャーナ市プレゼノバ・ドゥルズバ社から出版された。*Tine Kurentはアダミックの甥で、著名な建築学の研究者。

定価一ドル(当時としては豪華版)で販売された。 ☆そしてアメリカ黒人の経済学者エイブラム・リンカン・ハリス氏に献呈されている。

☆1930-35年間に、数種類の雑誌に掲載、また数種類の英語版、スロヴェニア語訳版として出版され、さらに50箇所余りの修正、省略の改訂版を経て、最後にロサンゼルスの小出版社ホイップル社から出版される。限定350部、アーティスト、エリザベス・ホイップルによる製作の木版画入り、

「ルーカス王」に収斂された「時代、無知、飢饉、政治、他の部族、そして恐らく自分と同じ黒い肌の中隊によって引き起こされていると思われる偏見の、極限化された苦悩」(Prof.Christian)を描く。

☆コンラッド風の、たった25頁ほどの短編だが、迫真性はある。☆1930年のアメリカによる植民地下のフィリピンを舞台。登場人物は、語り手の軍曹ウェーバー、ルーカス大佐、アメリカ黒人ジャクソン、フィリピンの先住民バルーカス族の酋長、ルーカス王

「まあ、どこか話しのできるところへでも------」と促した。

「艦は数時間マニラに停泊した。私は友人のウェーバーに無線連絡をとると、 彼は待ち受けたかのように不当にやって来て、「お前にこうして会いに来たのはな...」と、ウェーバーはにやりと笑って、 「或る王国を飢えさせる必要があるからなんだ」と云った。 彼はにやりと笑いながら、

☆アダミックの『バルーカス族の王ルーカス』(1935年)というのはフィリピンを舞台にしたエスニック物語だ。

「Lous Adamic on Twitter ツイッターでL アダミック2」 アダミック関連だけをブログにアップしました。 http://bit.ly/91Fl2x



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●「電子書籍ebook (ebook_global) on Twitter」

Thursday, March 11, 2010

Louis Adamic on Twitter ツイッターでL アダミック1

Louis Adamic on Twitter ツイッターでL アダミック
・名前 電子書籍ebook
・現在地 JAPAN
・http://twitter.com/ebook_global
・Web http://www.synapse.ne.jp/saitani/
・動き出した電子書籍、最新ニュースのポイント、環境、国際的な作家の紹介、ジャーナリズムその他、有益な情報をご紹介します。

1.
猫乃電子出版 『わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』バルカンの火薬庫 ユーゴスラヴィアのすべて! 全米ベストセラー作品。1930 年代のバルカン半島の緊迫した政治・経済・文化状況を、その ... 大手出版社も採用しているT-Time形式 http://bit.ly/9l0DOm

2.
アダミックの『ジャングルの中の笑い』(1932)を最初読んだときに米黒人作家リチャード・ライトの「ブラックボーイ」(1940)を思い出した。よく似ている感じがした。特に第一章の文体が。たぶんライトはアダミックの作品を読んでいたのではないか。http://bit.ly/c6s7vY

3.
The Native's Returnは14歳でアメリカへ渡った著者が19年ぶりに故国に 帰り故国を発見するドラマチックなルポルタージュ作品だが、「オデッセイア  ルイス・アダミック」と題しても雑誌に掲載された。アダミックは見事にその役 割を果たしたことになる。

4.
速読というのは必要な情報だけを探しているのだろう、私の場合。二三度読みた くなる文芸書は別だが。横書きの速読法を解説した本はまだ読んだことがない。

7.
of America 独裁国王アレクサンダルはマルセイユで暗殺され、ユーゴ独裁政権は事実上崩壊の道を辿る。 あとでブログに。

8.
With Georgi Dimitrov and Piere Van Passen,Louis Adamic on the Bloody Fascist Terror in the Balkans. Detroit: The Macedonian People's Leage

9.
New Yourk Evening Post1934,各国語に翻訳され国際的な反響をよんだ"Struggle" Los Angeles:Arthur Whipple 1934。例えば

10.
さらに"Louis Adamic Describes King As Deft Actor"New York Herald Tribune1934, 書籍として"The Native's Return"1934 の中の特に最終章"I Meet the King-Ditator"

11.
"Yugoslav Writer Predicted Alexander's Assasination"New York World-Telegram 1934, "King a 'Gangster,'Adamic Charges"New YorkEvening Post1934

12.
"The King Business in the Balkans"Yale Review 1933 (アダミック次頁にはレオン・トロツキーが寄稿)、"Torture in Belgrade"New Masses 1934, そして

13.
そして暗黒の1930年代、アダミックにとってもまた冒険的な時代だった。アダミックの独裁政権との闘いは、ヒトラーがまだ本格的に恐怖政治を敷く以前のことである。"The Next War"Nation 1932を予見し、

14.
1929年の大恐慌直前までを描いた自伝的小説『ジャングルの中の笑い』でアダミックは、僕は「アメリカに冒険と感動を求めてやってきた」、しかし「賢明な探検家がジャングルを探検するように、〈むちゃな冒険〉はしなかった。」 僕は、「笑って正気と健康を維持してきた」と。 

15.
一つしか残っていないが、昔は相当の豪農である。以前アダミックの甥Prof.Tine Kurentからアダミック家の六百年余りに亘る系図が送られてきた。アダミック家系に音楽家が多く優秀な音楽家も輩出しているようだ。なるほどアダミックのリズムカルな文体の意味がわかったような気がした。

16.
アダミックの生家は、現在のスロベニア共和国の首都リュブリャーナからバスで30分ほど行った町プラプロチェにある。当時はオーストリア・ハンガリー帝国下にあり、その後はユーゴスラヴィア下の小さな村ブラトにあった。生家は七百年近く続いた旧家で頑丈な石造り。現在(私が訪れた時も)建物は

18.
縮小版Armed Forces Editionは、第二次大戦の戦時下、塹壕でパルチザン兵士たちによっても読まれ勇気づけたという。

19.
わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』は世界恐慌下の全米ベストセラーであったが、祖国ユーゴでは「発禁」、所持しているだけでも投獄された。この本の出版を最も恐れていたのは、まぎれもなくアダミックが会見した「恐怖政治」を敷く独裁国王であり、政権中枢部だった。

24.
アメリカ合衆国の歴史を知るには欠かせない作品:『ジャングルの中の笑い』 アルノ・ニューヨーク社「移民コレクション」の第一巻に収められた。電子書籍販売サイト 理想書店  

26.
"Louis Adamic and Common Ground,1940-1949"に詳しい。 とにかくアダミックはファイターだった、マイノリィティ、民族、人種的偏見・差別とたたかった。「自由 FREEDOM」のために。

27.
エレノア・ルーズベルト、アーチバルト・マクリシュ、バン・ウィック・ブルックス、パールバックらが含まれていた。Common Groundは一般に殆ど知られていなかったが、1981年にアダミック国際会議・シンポジウムで発表されたWilliam C. Beyerの論文

28.
この雑誌から黒人、日系アメリカ人を含むアジア系、アフリカ系...、様々なエスニック作家たちが巣立っていった。カーネギー財団によって組織された「Common Council for American Unity アメリカ統一評議会」がスポンサーとなった。そのメンバーには

29.
1940年に刊行された季刊誌Common Groundは、アダミックの発案によるもので、アメリカにおける初のエスニティに関する文芸誌、総合的な文化誌で、様々な素性を持った諸民族・人種間の統一とその相互理解の創造に貢献した。

34.
South-Slavic Americas(1943-44)、新聞Today & Tomorrow(1945-)、3号からタイトルを変えてT&T: Trends & Tides(-1950)。

35.
季刊誌Common Ground(1940-42)、月刊誌In Re:Two-Way Passage(1942-43) 月刊誌War and Post-War、月刊誌The Bulletin of the United Committee of 

36.
1940~50年の10年間、アダミックは個人の定期刊行物(1誌を除く)を出している。自ら編集長として月間、隔月、季刊誌で、時々重複している。余りのオーバーワークのため健康上2誌は途中て降りているほど。

37.
1930年代大恐慌下のベストセラー作家ルイス・アダミック作品電子書籍販売サイト 制限時間2分で立ち読み可(無料)。大手出版社も採用しているT-Time形式の電子書籍。L Adamic オンライン読書、ルビ、電子本、図書館、ebook  http://bit.ly/a2kTrL

47.
そして1983年、ロビンソン・ジェファーズ息子(双子)はアダミック作品が当時の父親を知覚鋭く繊細にポートレイトしたとしてその価値を理解し、「前書き」をつけて新しい豪華版として出版した。R. J. : Robinson Jeffers : A Portrait.
48.
1928年の夏、友人のケアリー・マックウィリアムズとサンフランシスコをドライブ、そしてカーメルにある風変わりな 詩人ロビンソン・ジェファーズの石の家を訊ねる。その時の印象が翌年『ロビンソン・ジェファーズのポートレイト』として出版されジェファーズの初期の重要な作品となった。

50.
イーディス・サマーズ・ケリー、詩人ロビンソン・ジェファーズ、ジェイク・ジェートリン、ローレンス・クラーク・パウエル、メアリー・オースティンなどです。特に最後まで交流を続けた社会主義者アプトンをアダミックは、イデオロギーとしてよりも人間として尊敬していた。

51.
1920年代、アダミックは南カリフォルニアに住んでいた。そこで素晴らしい 文学仲間に恵まれました。生涯の友となったケアリー・マックウイリアムズ、ア プトン・シンクレア、詩人ジョージ・スターリング、

52.
アダミックは世界のどこにも「自由」の誕生を見なかった!マーチンルーサー・キング牧師もアメリカに「自由」の誕生を見なかった!

54.
1991年、ニューヨーク市で開かれたニューヨーク芸術祭に《移民の声》と題するエリス島のパフォーマンスで、アダミックの移民の自伝的小説『ジャングルの中の笑い』の一節が一世移民たちによって朗読された。

55.
Statue of Liberty(自由の女神像) American Dream: Andrea Bocelli's Statue of Liberty Concert  http://bit.ly/d4e3VK

58.
ブログにThe Native's Returnの原書についている写真を掲載。説明文はまだです。 http://immigrantebook.blogspot.com/ 

59.
1940年に刊行された季刊誌「Common Ground」は、アメリカ初のエスニック雑誌である。この雑誌からラングストンヒュージのような黒人作家や日系人作家など様々な人種の作家たちが育っていった。アダミックは実際にはあまりのオーバーワークで直接携わるわっていた1年半に過ぎない。

60.
「日本人の顔をした若いアメリカ人」の主人公日系アメリカ人チャールズ菊池の人種的偏見に対する苦悩を最もよく理解した。1930~50年、作家アダミックは少数民族、マイノリィティたちの人種的偏見、差別の防波堤だった。 エスニックアメリカのチャンピォンだった。

61.
「わが祖国の同胞のように、小国の権利を守り、世界に平和をもたらすため...」とウイルソンの思想を信奉してのことだった。だからアダミックは第二次世界大戦前夜の日系アメリカ人やその他のマイノリィティ、エスニックアメリカンの苦境を十分認識できていた。

62.
アダミックは、ヘミングウェイとほぼ同じ年、ローストジェネレーション世代で、第一次世界大戦に志願兵として米陸軍に従軍している。しかし祖国はアメリカの敵国である。Butsの苦悶のすえ入隊する。

75.
殆ど知られていない1940年代のアダミックのFREEDOMを獲得するための凄まじい苦闘、それはやがてマーチンルーサー牧師「I have a Dream...」、そしてアメリカ国黒人初の大統領バラク・オバマへ。少しずつ紹介してみたい。

76.
どういうわけか ホームページが知らぬまにリンク切れに。 グーグルブログは全くどうもないのに nada is bestか http://www.synapse.ne.jp/saitani/

77.
アダミック自身の編集したものや、新聞雑誌に掲載された記事、翻訳、エッセイ数はタイトルが500余を越える膨大な量に達する。 http://www.synapse.ne.jp/saitani/Louis%20Adamic%20Books.htm

78.
アダミックの著作はスロヴェニア語、セルボ・クロアチア語をはじめ、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、チェコ語、スウェーデン語、日本語など様々な言語に翻訳出版され、今日もリプリントされ読み継がれている。

85.
"The future, ours and the world's, is in unity within diversity." Louis Adamic

86.
WHY DON’T YOU ALL GO BACK,YOU DEAN FURRINERS? LET THE BUFFALO GRAZE AGAIN!" From Many Lands 1939-40 by Louis Adamic

87.
"For one thing,the Indians‘invaded’Washington caring signs like:

88.
"I have in me a sort of peasant resistance to influences of all sorts." - My Native Land ,1943 Louis Adamic Mar 5th

94.
with unflagging interest."-R.L.Duffus.  //  "A grand book... the music and collor of life on its lower levels." -James Stephens

95.
"It is by all odds the best story about and by an immigrant that I have ever read-and I read every word of it

97.
mirrored self-portraiture is done so almost perfectly that it is the reader who limns the portrait of the artist" -N.Y.Herald Tribune. 

98.
through their conflict of valures, that we catch, fleetingly yet cleary his own adventure. This seemingly unconscious technique of

99.
human dignity,and to my mind he touches greatness as a story-teller...he has no mere autobiographer. It is through other men's struggles,

100.
Book Review "Laughin in the JungleThe Autobiography of an Immigrant in America " 1932 by L Adamic "Mr.Adamic has an abiding sense of

112.
☆1940年代のアダミックの思想は、アメリカの「多様性による統一」、世界の「多様性による統一」、「真の国際連合」の創造であった。希望を持ちつつも、結局はアメリカの外交政策に対する絶望に終わった。もしアダミックの当時の外交努力が実現していれば、...と。

113.
わたしはまた、自由な世界政府の一部である、自由なヨーロッパ連邦の、自由なバルカン連合あるいは南東欧連合の、自由なスロヴェニア、自由なクロアチア、自由なセルビアに賛成である。」と。

114.
☆1942年にアダミックはこう語っている。「わたしは、完全に排他的でも、完全に分離されたものでもない、あらゆる人間の強烈な独立意識を根底においた世界の一部でもある、パレスティナの自由なユダヤ人の国土に賛成である。

115.
☆アダミックは、「ユーゴ(その一党支配の不完全さを許容しつつ)が戦後世界の二大勢力間の理解の架け橋になることができる」と信じていた。アメリカは多様性による世界統一のために導きはじめるだろうし、ユーゴはそれを発展させる機会と援助を与えられる...と。

116.
そして、その闘争は、「引き続き起こるかもしれない全体的な破壊の悪党役を演じるアメリカの原子爆弾でもって、ただ第三次世界大戦に導くのみである。」と述べた。 

117.
われわれの内部にさえ存在しないのである。」「いわゆる正統派マルクス主義者は、階級対階級、すなわち、資本主義に対し社会主義、帝国主義に対し世界革命が正しいと認めるだろう。国の内外でわれわれは、左右の原則の下に、物事の決着がつくまで闘争を強いられるだろう。」 

118.
(将来の展望において幾らか変革した形の)ソビエト社会主義は、双方の最高の相を包含しながら、一つの類似の生き方に達するまで、長い期間共存できるはずである。両国は、相互感情の別な型の、より良き理解を必要としている。」と。そしてもし国際的に「アメリカにとって"中立"の道がないとすれば、

119.
☆アダミックは1941年にルーズベルト大統領、チャーチル首相とホワイトハウスでの会談を回想した著書「Dinner at the White House」(1946年)の中でこう述べている。「(構造的に、また影響力のある人たちの思想慣習において幾らか変革した形の)アメリカ資本主義と 

120.
☆長い歴史からすれば60年余はほんの一瞬にすぎないが、東西冷戦によってもらされた人類、地球環境その他に対する莫大な損失、殺戮、無駄...は計り知れない。歴史の無駄か

121.
☆1945年、広島、長崎への原爆投下によって世界はまぎれもなく「核時代」に入ったが、もしアダミックの1940年代の外交努力が実現していたら、戦後世界はどのようになっていただろう。 

123.
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124.
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131.
☆世界ふれあい街歩き アドリア海に面した「ピラン ~スロベニア~」はよかった!! 2月26日(金)の放送以前BSだったかで車で走行しながら移して行くのがあってこういうのんびり歩きながら世界の街を風景見れるものがあったらいいなあと思っていた。

134.
"The Editing Of Louis Adamic 's Book The Eagle And The Roots" by Dr.Janja Zitnik の中で詳細に論じられている。

135.
或いはユーゴスラヴィアのような産業的後進国に対して西洋が経済的に援助する必要があるといったことなどについても同様だ。」と。 そして最後に Dr.Zitnikは、最も肝心なテーマがユーゴ政府の検閲により削除されたのではないかと結論づけている。

136.
「非同盟政策を採用した当時のチトーの国際的な役割は、『鷲とそのルーツ』の中では依然として論じられないままである。またその作品の中で論じられていた幾つかの重要な問題、つまり東欧社会主義のインパクトについても、

137.
「未出版のまま残された最も長い章『激震の中のチェスゲーム』A Game of Chess in an Earthquakeは書籍としても十分な長さであるが、しかし肝心な中心的テーマが欠落している。」とアダミック研究者Prof.Dr.Janja Zitnik は論文で指摘している。

138.
もしアダミックが『鷲とそのルーツ』を書かなければ死ぬことはなかったのかもと。 The Eagle and the Rootsは、アダミックの妻Stella Adamic とDoubledayのTimothy Seldesによる編集で、アダミックの死の翌年1952年に出版された。

139.
そしてすでにアメリカのDoubleday出版社から5000ドルの前金も受けていた。

140.
1932年以来の二度目の帰郷である。新生ユーゴでは10年ほど暖めてきた移民と教育についての小説「The Education of Michael Novak」を執筆するつもりだった。資料も全て揃い、いよいよ執筆する段階にきていた。

141.
1948-49年の八ヶ月間、アダミックは祖国ユーゴを訪問。プラハからユーゴ政府が手配した専用飛行機でベオグラード空港に到着する。空港にはおびただしい人の数、盛大な歓迎を受ける。

144.
or it will be too late. All of us send you,your wife and all your friends in America our greetings. "My Native Land" 1943

145.
Suffering is extreme.The storm with metal hail rages on.Losses are enormous for our small nation. We ask for urgent help,

146.
but give no assurance. Mother and all the brothers and sisters are still living today.Of our relatives many are already lost.

147.
For an endless time we have not had any word of you or your wife.Now and then on the radio we hear words spoken in America which stir hope

148.
ユーゴの弟Frace Adamicから米国の兄Louis Adamicへ。 1942年8月20日に投函された手紙は、ユーゴスラヴィア 、エジプト、ロンドンを経てアメリカの兄の許に届いたのはす でに鉄の暴風の過ぎ去った1943年1月19日であった。

158.
まぎれもなく独裁国王自身であった。ベオグラード政府の政治犯に対する抗議文、署名は錚々たる米作家や編集者大学教員ら48名。この作品によってもアダミックは命を狙われるようになる。

159.
コミュニストだけでなく国家主義者もだ。独裁政権の恐怖政治を暴露している。アレクサンダル王は自らの恐怖政治が臣民の生活の竈の灰まで支配していたのを知っていただろうか。私が王宮で会見した時そのようなことを訊ねるような馬鹿な真似しはなかった。   /しかしアダミックの本の出版を恐れていたのは

160.
まともな人間が気づいてみたら罪人になってしまう究極の形。暗黒の1930年代。「蟹工船」の小林多喜二の時代だ。強制的自白と凄まじいコミュニストに対する拷問。*ブログ「苦闘」-独裁政権下の政治犯収容所 by L Adamic http://bit.ly/aLiBhE

163.
I had found the adventure exciting and worth while;and there was more to come. Louis Adamic 1932 Laughing in the Jungle

164.
Rather,I had come to experience America,to explore the great jungle, to adventure in understanding-and here I was. 6:04 PM Feb 25th

165.
to escape from mysel for something or other;nor,like most mmigrants,to slave at whatever task I could find.

166.
have been a vital factor in that adventure. I had not come to America,like Steve Radin,to become rich ;nor,like Koska,

167.
My life in America has been largely an adventure in understanding,and these people - foreign-born and native American - and their histories

168.
as they wrere in Austria and in most other European countries. Laughing in the Jungle 1932

169.
In America everything was possible.There even the common people were "citizen,"not "subject,"

170.
エスニック・アメリカを代表する作家ルイス・アダミックの1930年代全米講演要約。 じつはアダミックは重度の「どもり」だった。 http://www.synapse.ne.jp/saitani/kooen.htm

172.
つまり、このことこそ、私たちがこの本から得られる最大の恩恵なのです。  そして今回、初版から五六年目にして日本語版が出版されることになったのは、ルイス・アダミックを愛してやまない私にとって、誠に感慨深いものがあります。一九八九年晩秋 H・A クリスチャン(ラトガーズ大学教授)

173.
旧い「台所用具」に気づき、「ここで……ぼくはノートや鉛筆を……ロールパンやりんごを買ったものだった。……ここには母がいつも買物にやってきていた」ことを思い出し、同時に、「あらゆるものが私の心に蘇ってきた」と、深い感慨をおぼえるにちがいありません。

174.
それはほかでもありません、The Native’s Return(帰郷)の持つ意味です。人はいろんな理由で、いずれは生まれ育った家を離れます。新天地にはまた別な生活があり別な人生が待っています。それでも人はいつの日か、長い年月を経て、少なくとも一度は生まれ故郷に帰り、 

175.
かされます。本書はこうして、民族・経済・政治・文化・歴史とさまざまな要素でもって構成されていますが、最終的には、この作品のいたるところに散りばめられ、あらゆる読者の心に重要な意味を持って訴えてくる要素、国家とか場所とかいう枠をとり払って地球人に共通する普遍的な核心があります。

176.
どっちつかずの宙ぶらりんの状況に押し込められていた」のを知るのです。また、私たちは、最近採用されたスロヴェニア共和国とそこに住む人びとの悲願の象徴が、いつの日かマトヤッチ王を目覚めさせるためにクリスマスの夜に一時間だけ咲き誇るという、あの菩提樹の青葉になった、という事実にも驚かさ

177.
その地に聞くようになりました。そこで私たちはThe Native’s Returnをき、半世紀以上も前のアダミックの言葉に耳を傾けることができます。。「サライェヴォの知識人たちの多くは、ユーゴスラヴィアの他の地方の人びとと同様に、巨大な暴力の前に挫折させられ、行方定まらない、

178.
でしょう。 スロヴェニアやユーゴスラヴィアの他の地方は、「永い苛酷な歴史を背負った、将来の行方定まらない種々雑多な人びと」と語ったアダミックの言葉通りの真実がいまでも生きています。一九八九年、東欧および南東欧には歴史的動乱の秋がはじまりました。世界は「経済危機」の言葉を再び

179.
さらに、アダミックがユーゴスラヴィアやこの国の人びとについて俯瞰して見せたように、一九三〇年代初めのこの国が「地図の上とわれわれの世界の政治における戦略上の重要な地位を独占している偉大な一民族の強力な社会的複合体」であったことを念頭におくこと、そういうことどもに注意を払うべき

180.
「わが祖国ユーゴスラヴィアの人々」(原題The Native’s Return)は、読者をとりわけ喜ばせる幸せな状況描写からはじまっています。アダミックの多くの価値ある本のなかで、最も重要で素晴らしいこの移民の帰郷物語は、まさにこの作家なくしては書けない作品だったように思えます。

181.
The Native’s Returnは、一九四二年にレベッカ・ウェストの『黒い仔羊と灰色の鷹』が出るまで、ユーゴスラヴィアについて英語で書かれた、最も情報量の多い、重要な、先見性のある本でした。しかも、アダミックの本はレベッカのそれよりもはるかに予言に満ちたものだったのです。

193.
通緝藻廣告 Suponsabana我出版 http://www.synapse.ne.jp/saitani/
http://immigrantebook.blogspot.com/2010/02/blog-post.html

194.
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195.
アダミック生涯の友、カリフォルニアの作家で弁護士のケアリー・マックウィリアムズは 『アメリカの人種的偏見―日系米人の悲劇』(1944)を書く。邦訳あり。

196.
その数年後、ホワイトハウスの晩餐を回想したアダミックは『 ホワイトハウスの夕べ』(1945年)の中のバルカン問題に 関する記述で、チャーチル首相に訴えられロンドンで敗訴する。

197.
チャーチル首相にひきづられたルーズベルトも突然夫の加勢に 廻ったエレノアも、アダミックの多民族、多人種の「Common Ground」の思想を最も警戒していたのかもしれない。結局はアングロサクソンの勝利に。そして日系アメリカ人の運命は...

202.
were the targets of harassment and discrimination. http://bit.ly/a6ZyAi Ludacris

203.
by urging him to "do something" about aiding the one million enemy aliens, some Japanese but mostly German and Italian,who,she argued, 

204.
plan, writer Louis Adamic dined with the President at the White House. Adamic  reported that Eleanor Roosevelt surprised the President

205.
On January 13,the same day Roosevelt received John Franklin Carter's "despondent" report about the lack of progress on the Munson-Ringle

206.
1941年1月13日、アダミック夫妻はルーズベルト夫妻によりチャーチル英国首相とともにホワイトハウスの晩餐に招かれる。そこで論じられる12万の日系アメリカ人の運命。

209.
By order of the president: FDR and the internment of Japanese Americans --Greg Robinson 

213.
1937年、アダミックは「わが祖国ユーゴスラヴィアの人々」 (The Native's Return,1934) の最後の章の削除を出版社に命じます。ロシアよりの文章です。スターリンの粛清の嵐の情報を確認したからです。 その中の一部

214.
そして世界の縮図であるアメリカを "I want America eventually to become a work of art."と結んだ。

215.
左のアダミック写真は「百万ドルのバガボンド」呼ばれた1930年代の頃もの。10年間でなんと地球の2週半の距離。"My America 1928-38" では 「America was a Land Nobady Knew...」と書き、

216.
エスニック・アメリカの象徴であり、「多様性による統一」の提唱者であるL.アダミックの視線は、弱者、アウトサイダー、異人、変人、異端者、外国人、境界人、移民、棄民、マイノリィティ、少数民族...に非常にあたたかい。 電子書籍 http://bit.ly/a2kTrL

221.
ルイス・アダミック。13人の兄弟の長男として旧オーストリア、現在のスロべニアに生まれ、革命的なユーゴスラビア独立運動に参加し学校を退学。14歳でアメリカへ移民船で渡り、国際的な作家・ジャーナリストとして、アメリカンドリームを達成した。

229.
☆ブログ☆ 日系二世の電子書籍-World Best Nikkei Nisei Ebook by Noted Immigrant Writer http://bit.ly/b3ebYU  二つの祖国を持つ日系アメリカ人二世の苦悩 日本図書館協会選定図書、全国学校図書館選定図書

230.
1930年代大恐慌下のベストセラー作家ルイス・アダミック作品電子書籍販売サイト 制限時間2分で立ち読み可(無料)。大手出版社も採用しているT-Time形式の電子書籍。L Adamic オンライン読書、ルビ、電子本、図書館、ebook http://bit.ly/a2kTrL

233.
ルイス・アダミックによる友人ニコラ・テスラについての渾身の追悼文。1943年1月10日ニューヨーク市長によって読まれた Youtube。テスラは、20世紀文明の、今日の人類の遺産といって誰一人疑うものはいないだろう。http://bit.ly/dr8G2x

237.
地球規模で進展するボーダレス希求、多種多様な価値観の発見、世界の多様性を追求したスロヴェニア出身の著名なアメリカ移民作家を通して時代を読む、民族、国境、時代を越えて心に響く作品集(翻訳書)!http://bit.ly/a2kTrL 電子書籍 ebook オンライン読書

238.
アメリカの行く末を模索する移民文学の傑作..。そして新しい価値の発見の書。1932年グッゲンハイム財団フェローシップ獲得し、故国ユーゴスラビアへの旅。そして移民の帰郷物語は全米の記録的な週刊ベストセラーとなり、月間7万部、そしてロングセラーとなる。アメリカは移民の国である。

239.
ブログ アメリカ移民の自叙伝(電子ブック)-「ジャングルの中の笑い」http://bit.ly/cgxp8I  弱肉強食化した1920年代のアメリカは、まさにバブル後の日本と同じ状況を映し出している。移民たち一人ひとりの血と汗で築いた国アメリカ。彼らの夢と挫折を通して、「約束の土地」

240.
「苦闘」-独裁政権下の政治犯収容所 Struggle by L Adamic 作家アダミックは国連人権委員のメンバー。制限時間2分で立ち読み可(無料)。大手出版社も採用しているT-Time形式の電子書籍を専門店 たった550円。 http://bit.ly/bZ5lcE

241.
原作のスロヴェニア語版は本書ノンフィクションノベルの主人公でもあるエドヴァルド・カルデリ(旧ユーゴ副大統領)他。解説は国際的評価の高い故ヘンリー・クリスチャン氏(ラトガーズ大学)の論文。強制的自白、凄まじい拷問 小林多喜二の時代だ。 Struggle 1935  L Adamic 

242.
ブログ 「苦闘」-独裁政権下の政治犯収容所 Struggle by L Adamic http://bit.ly/aLiBhE  暗黒の1930年代、ユーゴスラヴィア独裁政権下に国際的な反響をもたらした人権に関する古典的名著。

248.
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267.
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301.
☆ブログ☆ 日系二世の電子書籍-Best Nikkei Nisei Ebook in the World http://nikkei-nisei-american-stranger.blogspot.com/  二つの祖国を持つ日系アメリカ人二世の苦悩

302.
We Are The World (USA for Africa) [作詞・作曲:マイケル・ジャクソン ライオネル・リッチー/訳詞:湯川れい子]を下に、歌の雰囲気にあわせた字幕スーパー風な訳に少し変えてみました。Youtube 歌詞 訳http://bit.ly/cDor7t

303.
訳してみました。 Monday, December 18, 2006 We Are The World (USA for Africa) -- 歌詞 訳詞 Japanese Version http://bit.ly/cDor7t 

307.
☆ブログ☆ 日系二世の電子書籍-Best Nikkei Nisei Ebook in the world by Noted Immigrant Writer 1930年代、二つの祖国を持つ日系アメリカ人二世の苦悩 日本図書館協会選定図書、全国学校図書館選定図書

309.
☆ブログ☆バルカン-ヨーロッパの火薬庫を行くdownload ebook 動乱のスロベニア、セルビア、クロアチア..東欧全土を旅する-全米ベストセラー作品 (電子書籍) http://travel-balkan-yugo-slav-dictator.blogspot.com/ 

310.
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311.
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312.
☆ブログ☆東欧移民「約束の土地」アメリカへ-スリリングな自伝的物語 http://emigrants-statue-of-liberty-promisedl.blogspot.com/  電子書籍 オンライン 読書 パソコン 電子本 図書館ふりがな/ルビつき本

314.
☆ブログ☆スラブ農民の「心の文化」-教育の根源に学ぶ http://balkan-slav-education-ebook-children.blogspot.com/  電子書籍 オンライン 読書 パソコン 本 電子本 図書館ふりがな / ルビつき本

315.
☆ブログ ☆アメリカ移民の自叙伝(電子書籍)-「ジャングルの中の笑い」、約束の土地、自由の女神、Louis Adamic Laughing in the Jungle http://american-immigrant-slovenia-liberty.blogspot.com/ 

317.
アダミックも1941年ニューヨーク市で、現在のような国境のない欧州連合の必要性を講演で提案した。貨幣や郵便の統合やらかなり詳細に(Prof.Christian)...しかしそれを報じたのはNew York Timesだけだった。http://bit.ly/dcvdW0 

318.
"EU" and Louis Adamic 20世紀初頭、アダミックによればスロヴェニア共和国では作家イヴァン・ツァンカルがヨーロッパ統合論者であった。ツァンカルはアダミックの最も尊敬する人物で彼の作品を読み作家への道を志した。そして英語で最初に彼の代表作を翻訳出版した。

322.
制限時間2分、立ち読み(無料)可。大手出版社も採用している T-Time形式の電子書籍販売サイト:『ジャングルの中の笑い』http://www.dotbook.jp/risoushoten/items/view/IP0009 ダウンロード読書 電子ブック ebook

327.
☆1930年代大恐慌下の全米ベストセラー作品を読む!! ☆バルカンの火薬庫 ユーゴスラヴィアのすべて!日本図書館協会選定図書、全国学校図書館選定図書。 http://bit.ly/cTLVRc 電子書籍販売サイト ebook ダウンロード 電子ブック オンライン 読書

330.
制限時間2分、立ち読み(無料)可。大手出版社も採用している T-Time形式の電子書籍販売サイト理想書店:『ジャングルの中の笑い』http://www.dotbook.jp/risoushoten/items/view/IP0009 ダウンロード電子ブック ebook

333.
日本語訳 『ザ・ブラック・マウンテン』The Black Mountain (1954) ネロ・ウルフ (Nero Wolfe) http://bit.ly/cwkD4i Pb: しゅえっと(Chouette)

334.
a native of Montenegro, in what was then Yugoslavia. レックス・トッドハンター・スタウト(1886~1975)アメリカの小説家で、〈私立探偵ネロ・ウルフ〉シリーズの生みの親。
335.
(1977), it was the influence of Adamic that led Rex Stout to make his fictional detective Nero Wolfe

336.
REX STOUT and ADAMIC were Friends And frequent Political Allies. According to John McAleer's Edgar Award-winning Rex Stout: A Biography

337.
そして1946年には「鉄のカーテンを引いた」チャーチルからは文書誹謗の廉で訴えられたりしている。

338.
見られるかもしれない。バルカンや多国間外交や国連主導...。アダミックは1932年~50年間にロシアへの入国ビザを何度も申請したが、生涯一度も認可されなかった。もしアダミックが民族主義的なスターリンのロシアに入国していたら、その後の世界は一体どうなっていたのだろう。

339.
「異端の副大統領ヘンリー・A・ウォーレス─ ポスト冷戦時代の視点から─」安藤次男を拝読しました。http://bit.ly/bTVzy1 アダミックもニューディーラーであり、進歩党綱領を一週間夜を徹した書いたと言っている。外交面や人種などの点でアダミックの何らかの影響が

340.
が、その抵抗もむなしく、どうすることもできなかった。そしてアダミックは1948年の大統領選挙に出馬したヘンリーA・ウォーレスの進歩党綱領委員会の委員に任命される。勝敗はすでにわかっていたが、Progressive Partyは黒人参政権や国民皆保険などを掲げていて今でも興味深い。

341.
1948年、アダミックは彼自身のジャーナルT&T: Trends Tides、に「アメリカレジスタンス運動の先頭に立つ」“spearheading an American resistance movement”としてマッカーシズムに対し、徹底抗戦をこころみる。

342.
アダミックはすでに1947年の早くから非米活動調査委員会により嫌疑をかけられていたが、その反証をどの新聞雑誌にも掲載させることができなかった。当時アダミックは正統マルクス主義者の敵としてみなされてもいた。

343.
ヘンリー・フォンダやハンフリー・ボガート、グレゴリー・ペック、フランク・シナトラ、ジュティーガランド、キャサリン・ヘプバーン...などが反対運動を起こした。

344.
あの赤狩りで「共産主義者」として告発された映画関係者はチャップリン、ウィリアム・テイラーをはじめ数百人にのぼる。チャップリンは「殺人狂時代」を映画化しアメリカを去った。

345.
1930年代、アダミックは恐怖政治を敷いていたユーゴ国王独裁政権を打倒することはできたが、あの米国マッカーシズムにだけはどうすることもできなかった。

347.
1930年代のベストセラー作家、ルイス・アダミック作品を読む。制限時間2分、立ち読み(無料)可。大手出版社も採用している T-Time形式の電子書籍専門店。以下をクリック! 電子書籍販売サイ 理想書店:『わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』http://bit.ly/cTLVRc

350.
東欧への旅の案内人。旧ユーゴ便り-セルビア在住者で通訳・取材コーディネーターのO氏がルポする現在のバルカン半島、コソヴォ問題を理解できる最もホットなサイトです。http://bit.ly/adamic 

351.
The Epic of Kossovo  Louis Adamic- 「コソヴォの叙事詩」 翻訳 無料で読めます。電子書籍ebookではありません。ブログから http://bit.ly/br6y7N

352.
魯迅は思想的にまた個人的な気質がどこかLouis Adamicに似ている。魯迅は竹内好があるが、「魯迅(るうしゅん)」サイトでは、他訳そして読みやすい新訳でも読める。 http://bit.ly/bU0qiq

362.
私のAdamic翻訳書は1500円であったものを一律550円に昨年したが、ちょっと安すぎたなあ。電子書籍販売サイト 理想書店 2分で立ち読み可。大手出版社も採用しているT-Time形式 www.dotbook.jp/risoushoten/items/view/IP0009  

367.
ルイス・アダミックにとって「全世界がわが祖国」であった。アダミックはこの作品でユーゴスラヴ人民解放委員会から統一勲章を授与される。もし第二次大戦中に、パルチザン支持を米政府ルーズベトに説得できなかったとしたら、その後の世界は変わっていたかもしれない。Louis Adamic

368.
"My Native Land" Louis Adamic 1943 I am not born for one corner; the whole world is my native land. -- SENECA THE STOIC (First Century)
373.
アメリカ大恐慌下のベストセラー・ロングセラー 電子書籍販売サイト 理想書店:『わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』原題は「帰郷」 www.dotbook.jp/risoushoten/items/view/IP0007  制限時間2分で立ち読み可無料。大手出版社も採用しているT-Time。

379.
ルイス・アダミック著『ジャングルの中の笑い』キーワード-download ebook アメリカ移民、電子ブック、自叙伝、ルーツ、ジャングル、弱肉強食、約束の土地、自由の女神、エリス島、 Louis Adamic 、翻訳、

380.
ブログ アメリカ移民の自叙伝(電子書籍)-「ジャングルの中の笑い」、約束の土地、自由の女神、 http://american-immigrant-slovenia-liberty.blogspot.com/

381.
JEPA 電子出版アワード 2008-デジタル・インフラ賞電子書籍ビューアー「T-Time」株式会社ボイジャー http://www.youtube.com/watch?v=rwdTC0Y-Mpc

390.
「ジャングルの中の笑い」ルイス・アダミック著 http://www.dl-market.com/product_info.php/products_id/5038  ダウンロードできるページ(立ち読み版は無料です)。 電子本は、T-Time専用ファイルの形式の電子本です。

391.
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392.
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400.
DL-MARKET - 猫乃電子出版 わが友よ 誇り高きヘルツェゴビナ人 http://www.dl-market.com/product_info.php/products_id/5039/price/1

401.
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402.
電子書籍販売サイト 理想書店で読むアメリカ大恐慌下のベストセラー:『わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』ルイス・ア゛タミック www.dotbook.jp/risoushoten/items/view/IP0007

403.
"I want America eventually to become a work of art." Louis Adamic "My America 1928-1938" p662

404.
to sink our roots into our common American subsoil, rich, sun-warmed and well watered, from which we still may grow and flower.L Adamic 1940

405.
Louis Adamic "My purpose... is to begin exploring our American cultural past... imaginatively and creatively, with eyes to the future, ...

414.
アメリカは不思議な、しかし本質的には「進展--長い果てしない」を示す希望の国として、その姿を示している。」 p586 『現代アメリカ文学史』 大橋/佐伯/杉木他訳 南雲堂 ALFRED KAZIN/ON NATIVE GROUNDS

415.
メキシコ湾まで、またニューヨークからハリウッドまで、アメリカには見るすべての人々にとって、そのそれぞれの型がある。移民としての過去が傍観者的な好奇心と生き生きとした民主的友愛主義を与えることになった、ルイス・アダミックなる作家の印象記録の大作 『私のアメリカ』のなかでは、

416.
1930年代大恐慌下のアメリカをLアダミックほど旅し多くの人に会った作家はいなかった。1928-1938年の十年間、その距離は10万マイルに及ぶ。およそ地球二週半。評論家アルフレッド・ケイジンはこう書いている。「東はメイン州のポーランドから西はオレゴンまで、北はデトロイトから南は

419.
The aim is unity in the midst of diversity." My Amrerica My word They work for tomorrow Robert Merrill Bartlett 1943

420.
Louis Adamic"A European Federation should probably be made up of smaller unites:the South Slavic Federation, Balkan Federatio, and so forth.

426.
そのあたりのことについてアダミック研究者でスロベニアの大学教員Dr.JANJA ZITNIKは研究論文で鋭く分析している。1950年代、アダミックはアメリカではマッカーシズムとの闘い、祖国では殆どの本が発禁、そしてロシアには30年代からビザを何度も申請したが入国できなかった。

427.
Louis Adamic 遺書となった『鷲とそのルーツ』出版をめぐって脅迫を受けていた。アダミックの死後、さらに膨大な原稿"Game of Chess in an Earthquake" が残されていた。しかしその最も重要な部分は欠落しいまだに行方知れず。

429.
ガレージはすでに焼け落ち、銃にも石油缶にも指紋は残っていなかった。タイプライターに遺された最後の言葉は「Now is the time」。遺書となった"The Eagle and the Roots." 出版をめぐって脅迫を受けていた。

430.
Louis adamic 1951年9月4日午前四時、Riegelsville, N.J. ベッドに横たわっているアダミックが、22口径ライフル銃を抱えた状態で発見された。頭から太ももにかけて致命傷となった弾丸が貫通していた。資料が散乱する書斎にはすでに石油が撒かれ、

431.
Louis Adamic の死因はいまだ不明だが、甥のDr.Tine Kurentはクロアチアのウスタシャ関係の右翼により暗殺されたとしている。アダミックは1951年ニュージャージの農場で死体で発見された。

432.
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441.
南スラヴ人のハーツ・アンド・マインド物語5篇を収録。『南スラブ人のこころと情 』ルイス・アダミック著/田原 正三訳(1)ドクター・ヘラクレス(2)農民の天才――イヴァン・メシュトロビチ(3)わが友よ 誇り高きヘルツェゴビナ人(4)二つの祖国(5)スロヴェニアの愛

444.
of the investigation into Mr. Ozawa.--The New York Times 

445.
Indeed, media experts say the prosecutors enjoy close ties with the major news media outlets, which has led to generally positive coverage

449.
Bannerwerbung, die Mittel fur die Veroffentlichung von L Adamic Collection http://www.synapse.ne.jp/saitani/

450.
Louis Adamic アダミック作品集は ☆猫の本屋さん:ダウンロード作品の詳細紹介→ 立ち読み→ 購入画面 一律550円であなたの心を耕します。ここちらから読めます→ http://necom.cool.ne.jp/book0802.html  縦横読み、字の大きさ自由。

451.
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452.
続ルイス・アダミック(Louis Adamic)キーワード-国家、自由、平等、セルビア、クロアチア、境界人、アウトサイダー、東欧、東ヨーロッキーパ、グアテマラ、ルーズベルト、ニューディール、コモングラウンド.... http://www.synapse.ne.jp/saitani/ 

453.
ルイス・アダミック(Louis Adamic)キーワード-スロベニア、ユーゴスラビア、移民、人権、多様性による統一、文化的多元主義、エスニック、人種、スラブ、ヘルツェゴビナ、1930年代、アメリカ、大恐慌、ジャングル、ベストセラー、日系アメリカ人、人種的偏見、自由の女神、民族..

454.
『マルティン・クルパン』 ロシア語をはじめ、ドイツ語、セル ビア語、イタリア語…など世界の多くの言語に翻訳されているス ロヴェニア共和国の代表的な児童文学の古典。ルビ付きですので 、児童でも読めます。 http://necom.cool.ne.jp/book0808.html 

457.
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458.
1930年代ユーゴ・ヒューマンドキュメント(翻訳-電子書 籍download ebook)『南スラブ人のこころと情』ルイス・アタミック著 翻訳書 http://1930s-yugo-slav-human-documents.blogspot.com/
 
459.
1930年代ユーゴ・ヒューマンドキュメント(翻訳-電子書籍 download ebook)『南スラブ人のこころと情』南スラヴ人のハーツ・アンド・マインド物語5篇を収録。

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原作のスロヴェニア語版は本書ノンフィクションノベルの主人公でもあるエドヴァルド・カルデリ(旧ユーゴ副大統領)他。解説はH・クリスチャン(ラトガーズ大学)。電子書籍download ebook 翻訳書 http://tinyurl.com/yk3aol2  

461.
『苦闘』-独裁政権下の政治犯収容所 Struggle by L Adamic 暗黒の1930年代、ユーゴスラヴィア独裁政権下に国際的な反響をもたらした人権に関する古典的名著。コミュニストに対する拷問。http://tinyurl.com/yk3aol2 6:31 PM Feb 3rd webから

462.
スラブ農民の「心の文化」-教育の根源に学ぶ http://balkan-slav-education-ebook-children.blogspot.com/  電子書籍 翻訳書 ヘルツェゴビナ

463.
今世紀初頭、旧世界ヨーロッパの人々にとって、アメリカはまさしく黄金に輝く国、「約束の土地」であった。 第一次大戦前夜、14 歳の著者アダミックは故郷スロベニア(旧ユーゴ)で汎革命的な「南スラブ人国家統一運動」の学生デモに参加。http://tinyurl.com/yhjryuz

464.
東欧移民「約束の土地」アメリカへ-スリリングな自伝的物語 電子書籍 翻訳書 http://emigrants-statue-of-liberty-promisedl.blogspot.com/  

466.
『わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』バルカン-ヨーロッパの火薬庫を行く-動乱のバルカンを旅する-★全米ベストセラー作品!! (電子書籍) ★ヨーロッパの火薬庫ユーゴスラヴィアのすべて!!★バルカン半島の激動を鋭く予告した傑作!!http://tinyurl.com/ykrywvy  

467.
『日本人の顔をした若いアメリカ人』の原作は「世界の人種関係において最も重要な作品」としてアニスフィールド賞受賞。 書籍版(PMC社、1990 年)は日本図書館協会選定図書、全国学校図書館選定図書に。改訂版は電子書籍でhttp://tinyurl.com/ygrdovy

468.
日系二世の電子書籍-Best Nikkei Nisei Ebook in the World by Noted Slovenian Immigrant Writer http://nikkei-nisei-american-stranger.blogspot.com/  

469.
移民たち一人ひとりの血と汗で築いた国アメリカ。彼らの夢と挫折を通して、「約束の土地」アメリカの行く末を模索する移民文学の傑作...グッゲンハイム財団フェローシップ獲得し、故国ユーゴスラビアへの旅。ジャングルの中の笑い』http://tinyurl.com/ygt968c

470.
アメリカ移民の自叙伝(電子ブック)-『ジャングルの中の笑い」、約束の土地、自由の女神... 本邦初訳 http://american-immigrant-slovenia-liberty.blogspot.com/

471.
Scott Nearing(1883-1983)20世紀の人物遺産 スコット・ニアリング Radical   世界的に著名な思想家・経済学者・文明批判家・反戦平和主義者・トルストイアン・教育者・ベジタリアン・反権威権力. アメリカ環境運動のパイオニア「大地へ帰れ」を提唱。

472.
Banner ad seeking funds for Publishing http://www.synapse.ne.jp/saitani/
ttp://immigrantebook.blogspot.com/ 

475.
ルイス・アダミック作品集の日本語訳は「猫の本屋さん」から読めます。立ち読み-ダウンロード、すべて一律550円。 http://necom.cool.ne.jp/book0801.html

476.
http://immigrantebook.blogspot.com/2007/01/nearings-black-america-and-luther.html


477.
Scott Nearing's "Black America" 1929 and Luther King's "I have a dream" 1969  blog

478.
Black America by Scott Nearing 1929年に米で出版された黒人問題に関する古典。人種問題の先駆的な著作。『ブラック・アメリカ』スコット・ニアリング著/高橋徹訳 40年後に評価される。れんが書房新社 1984年

479.
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http://immigrantebook.blogspot.com/

507.
every once in while we've got to wake up.From Many Land,1940 p.301 - Louis Adamic

508.
The American Dream is a lovely thing, but to keep it alive, to keep it from turning onto a Nightmare,

509.
we have a chance to create a universal, a pan-human culture, more satisfying than anything humanity has as yet devised or experienced. 1940

510.
The future, ours and the world's, is in unity within diversity. From Many Land,1940 p.301 - L Adamic

520.
IMMIGRANT EBOOK (移民 電子ブック download) for World Diversity! http://immigrantebook.blogspot.com/ 

521.
地球規模で進展するボーダレス希求、多種多様な価値観の発見、世界の多様性を追求したスロヴェニア出身の著名なアメリカ移民作家を通して時代を読む、民族、国境、時代を越えて心に響く作品集!http://immigrantebook.blogspot.com/

522.
世界が動いた激動の1989年、1990年... そして2009年、2010年... 1989年はベルリンの壁崩壊、米ソ冷戦終結、天安門事件、東欧の動乱、ソ連崩壊...すさまじい変革の年だった。このblogから http://immigrantebook.blogspot.com/

532.
ユーゴスラヴィア崩壊の兆しも今思えばあった。食堂など店に飾られていたチトーの写真も傾いて今にも落ちそうにしていた。街中で見かけた第二次大戦中の英雄的なパルチザンの戦闘写真も古びて賞味期限スレスレだった。

533.
たしかリュブリャーナ市は昔「沼地」だとか何かで読んだ。その上に都市ができている。となると大きな地震がくれば一気に崩壊する。1980年代に訪れたが、とても美しい街。まだユーゴスラヴィアの時。しかし駅も人々の表情も心なしか暗かった。

534.
スロヴェニア共和国の首都リュブリャーナ市は地震から100年とか以前聞いたことがある。近くかならず来るのではないかと...。ハイチ地震もそうだが国際の救援隊が遅い。災害も国連あたりで戦争同様に緊急部隊出動すべき時だ。かつて魁の竹村氏がそのような案を出していたような気もする。

535.
日本人の観光客がたくさん訪れるそうです。 ANTIGUA GUATEMALA---MONUMENTAL CITY OF THE AMERICAS The House in Antigua.  http://www.rutahsa.com/antigua.html

537.
電子本(ttzファイル)を読むためにはT-Time Viewerが必要です。縦書き 横書き 大きさも自由。保存しておけばいつでも読める。分からない時は「猫の本屋さん」へ。

538.
ルイス・アダミック作品集の日本語訳は「猫の本屋さん」から読めます。立ち読み-ダウンロード、すべて一律550円。 http://necom.cool.ne.jp/book0801.html

539.
Laughing inthe Jungle: "A grand book…the music and color of life on its lower levels. - James Stevens, author of "Paul Bunyan"

540.
すでに1932年にアメリカ合州国の「多元化社会」「多文化社会」を予見している。単なるアダミック個人の移民の自叙伝ではない、よく移民の自叙伝にありがちな「成功物語」などではない。彼の視線の先には移民全体があり、ユニバーサルな作品を書きたかった。Jan 29th

541.
アメリカ移民の自叙伝(電子ブック) Laughing inthe Jungle:The Autobiography of an Immigrant in America  Harper,1932 is awarded Guggenheim Fellowship の翻訳書です。

542.
ジャングルの中の笑い』移民たち一人ひとりの血と汗で築いた国アメリカ。彼らの夢と挫折を通して、「約束の土地」アメリカの行く末を模索する移民文学の傑作...。 http://american-immigrant-slovenia-liberty.blogspot.com/ 

543.
did not have time for anything to spell success for too many..." http://immigrantebook.blogspot.com/2009/02/blog-post.html

544.
could have become the richest man in the country, in the world, if he wished for riches. He didn't. He did not care for anything,

545.
His achievements were great and are becoming greater as time goes on. Nikola Tesla could have hundreds of millions of dollars,J

546.
アダミックはニコラ・テスラについてはThe Native's Return1934年にも書いてあった。が、出版数年後ス最終章はスターリン批判により削除している。ニコラ・テスラはアダミックと同じユーゴスラヴィア出身であり友人だった。ニコラは名誉も金も関係なかった ただ人類に奉仕した

547.
and an integral part of our civilization, our daily lives, our current war effort. His life is a triumph."

548.
Louis Adamic eulogizes, "Tesla lives in hisachievement, which is great, almost beyondcalculation,

549.
NIKOLA TESLA written by Louis Adamic
 http://immigrantebook.blogspot.com/2009/02/blog-post.html


550.
20世紀悲運の天才科学者、ニコラ・テスラ。人類の遺産だ。友人ルイス・アダミックによる「渾身」の追悼。 1943年ニューヨーク市長によって読み上げられた。 http://immigrantebook.blogspot.com/2009/02/blog-post.html

551.
ニューディール政権では積極的に大恐慌下のアメリカ国内支援に作家や芸術家を起用した。またインテリでもあったルーズベルト婦人は、エレノア・ルーズベルトはアダミックのファンだった。そしてアダミックは1930-40年代に文化的に素晴らしい貢献をすることになる。

552.
国際的に活躍したL・アダミックの1928-1938年の十年間の移動距離は10万マイル。地球2週半に及ぶ。世界大恐慌の最中、『私のアメリカ 1928-38』というルポルタージュ作品の大作を残した。ルーズヘルト政権下、ニューディール記録の大作です。

553.
坂本龍馬の生涯移動距離は地球一周余りといわれている。足で船や籠で、当時とすれば凄い距離であろう。移民作家Lアダミックの場合は

557.
とにかく1989年、そして1990年のは凄い年でしたね。少しだけhpに掲載しました。2009年 黒人初の合州国大統領バラク・オバマ誕生、民主党連立の新政権誕生といい、いま日本も激震...そして波乱の2010年がスタートしています。

558.
これまでの原稿は山済み状態、多くは電子化していますが...。そろそろ紙の書籍としても出したいと思ってます。旧ユーゴ便り http://www.pluto.dti.ne.jp/~katu-jun/yugo/index.html

559.
『わが祖国ユーゴスラヴィアの人々』を出版してから20年になります。ということは大塚さんがセルビアにわたってからもです。いま改訂増補版として電子書籍ebookで読めます。今年は現タイトル(The Native's Return)どおりに『故国に帰りて』として紙の書籍として出す予定。

562.
The cultural front: the laboring of American culture in the Twentieth Century 著者: Michael Denning

563.
"The magazine was the brainchild of Adamic, a key figure in the history of US ethnicity" --- Michael Denning

564.
Common Ground was a journal founded by Louis Adamic and Margaret Anderson in 1940 to explore "the racial-cultural" in th US.

565.
アダミックの映画化を故国スロヴェニアの監督が計画していたが亡くなった。http://immigrantebook.blogspot.com/2009/10/franci-slak-slovenian-film-director.html

566.
1991年にはアダミックの自叙伝『ジャングルの中の笑い』の一節が20世紀初頭にアメリカへ渡ってきた移民たちによって朗読された。14歳で単身東欧から渡ってきたアダミックの体験を通して、一語一語、かみしめながら...

567.
2000年NY市で催された「自由の女神コンサート」。自由の女神コンサート http://immigrantebook.blogspot.com/search?updated-max=2010-01-13T22%3A11%3A00-08%3A00&max-results=1

568.
Louis Adamic アダミックの生涯は「移民の国」アメリカの歴史の体現といってよい。いずれ映画化されるだろう。

569.
HE FULFILLED HIS TASK/COURAGEOUS AND GREAT /AND FELL A VICTIM IN THE STRUGGLE/FOR THE RIGHTS OF PEOPLE http://www.slovenia.info/?muzej=6375

570.
リュブリャーナ市からバスで30分くらいの村にある。建物の入口の壁にFROM THIS HOME /VENT INTO THE WORLD /OUR UNFORGETTABLE /LOUIS ADAMIC

571.
Louis Adami Memorial room - Museum - Slovenia - Official Travel Guide - http://www.slovenia.info/?muzej=6375  ここが作家ルイス・アダミックの記念館だ。スロヴェニアの首都

583.
世界の国境なきボーダレス化を大いに論議すべし。何らかのルールが必要。やはり地球がコンピュター社会に変貌を遂げつつある今、人類は「国連」の強化に知恵を結集すべき時に来ているのかもしれない。

585.
私の翻訳書もボイジャーのキットを購入し電子化し販売している。もう10年ほどになるかな...Louis Adamicという移民作家の翻訳書その他... https://www.nttcom.co.jp/comzine/no073/newdragnet/index.html

587.
今年は電子書籍元年!! Googleが、電子書籍をオンラインで販売するサービス “Google Editions”を2010年春から開始する。 提携する出版社が定めた価格で40万冊から60万冊の書籍を提供するという話。

589.
講談社や集英社、小学館など国内大手出版21社が電子書籍の業界団体を2月に設立という。 

590.
電子書籍が騒々しくなってきたね。Amazon、Kindle向け電子書籍販売が紙の書籍を超えたと発表。2009年12月25日。 http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0912/28/news013.html



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