Monday, February 12, 2007

The Epic of Kossovo - コソヴォの叙事詩 翻訳 

The Epic of Kossovo by Louis Adamic
Translation: Shouzou Tahara

コソヴォの叙事詩



 ベオグラードへ向けて南セルビアを立ち去る直前、私たちはこの国で歴史的、文化的に最も重要な場所、スコピエから車で数時間のコソヴォ平原を訪ねた。平原とはいえ、そこは周囲に高峰が連なり、海抜三〇〇メートルの広大な盆地上の高原であった。ところどころ古びた町や村が点在し、私たちが訪れた一月下旬はどこもかしこも冬枯れでうら寂れた風情のなかに沈んでいたが、春から夏にかけて野原にケシの花が咲き乱れ、鮮やかな色彩に染まると聞いた。

 ユーゴスラヴィアを理解するには、まずコソヴォを知らなければならない。五五〇年前、そこで何が起きたのか、それが人びとにどのような影響を及ぼしたのか知らなければならないのだ。歴史的にコソヴォは、いま在るユーゴスラヴィアにとって重要であるばかりか、世界の多くの国々にとっても重要である。もし、コソヴォからセルビア人や他のユーゴスラヴィア人たちの発信される不思議な霊感がなかったとしたら、一九一四年のサライェヴォの暗殺も、その後に続く世界大戦もなかったにちがいない。

 一二世紀から一四世紀にかけてのセルビアは、ヨーロッパでも最も文明化された進歩的な国だった。その文化は、スラブ人固有の心の文化とギリシャ正教とビザンチン芸術から借用した文化とが豊かに混合し美しい燦〔きらめき〕を放っていた。

 もちろん、ビザンチン芸術は当時、すでに衰退していたが、セルピアの芸術家たちはいち早くその良き核心を学びとり、彼らのみずみずしい感性と活力の研磨を通して、見事、スラブ人のなかに適応させ、新しく蘇生させたのである。だからこそ今日、多くの国の人びとが六〇〇年から八〇〇年前に建てられた教会や修道院にやってくるのである。それらの建築術や所蔵されているフラスコ画――トルコ軍による破壊を受けず無傷のまま残っているものが多少はある――は当時のセルビア人の持つきわめて高い美的センスと技術力の所産であり、驚嘆せずにはいられない。ジョットーがイタリアに登場する一〇〇〇年あまり前、セルビアの画家たちはすでに遠近法を用いて人物を微妙にかつ複雑に表現し得ていたということは疑いのない事実である。その証拠に、今日、中世セルビアの絵画や建築の調査にやってくるヨーロッパの研究者や考古学者たちによって、それらがルネッサンス初期の絵画や彫刻の直接の先駈けをなしている、との一般的見解が発表されているのだ。ある説は、旧セルビアの修道院やフレスコ画はドゥヴロヴニクを経由してイタリア・ルネッサンス初期の芸術家や建築家に影響を与えたと述べ、その裏づけとして、一五世紀のドゥブロヴニクは南セルビアを含む中央バルカンと定期的な交流を続けていたと述べている。もしそうだとすれば、一四世紀のセルビアの芸術家たちは、ヨーロッパにおいて最も進んだ芸術的境地に立っていたことになる。そして、彼らの作品は、今日見てもけっして古くはなく、なかには現代的感性に十分適応するものもある。

 当時のセルビアは芸術と並んで、世界に誇れるドゥシャン法典を持っていた。これはステファン・ドゥシャン皇帝によって書かれたもので、内容からいってもユスティアヌス法典に勝るものだった。スコピエやヴェレス、テトヴォ、ブリズレンの工芸職人はその手から多くの生活必需品を生み出した。のちに彼らの多くは山岳地帯に避難してガリシュニクのような共同体を形成するに至るが……。土地から自然発生する文学的な芽生えもあったし、装飾や衣裳にも凝った技術が施され、人びとの文化的水準の高さを示していた。

 しかし、栄光の時代は長くは続かなかった。ドゥシャンが一三五六年に死ぬと、その後、氏族間の内紛がはじまり、そのドサクサはトルコ軍につけ入る隙を与えた。侵略軍との戦いがはじまり、セルビア軍はよく戦って敵の進撃を喰い止めたが、膨大な数の味方兵士を失うことにもなり、受けた打撃は大きかった。

 そして、一三八九年、天下分け目のコソヴォ原での大合戦の火ぶたが切って落とされるのである。セルビア軍は残った全兵士をコソヴォに投入し、それに全南スラブ民族が大同団結して支援体制は敷かれた。ボスニア、ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、ダルマチアは分遣隊を送ってよこし、スロヴェニアからの義勇兵も加わった。さらにイタリア、ドイツ、フランス、アルバニアからもキリスト教徒の傭兵がやってきた。だが、それをもってしても総勢力はトルコ軍のほうが勝っていた。スルタン・ムラト(またはアムラス)率いる敵兵は三〇万、迎えるセルビアのラザール公率いる兵力はせいぜい一〇万、戦う前からして勝敗はきまっていた。加えて味方の指揮官から裏切り者が出たとあっては、勝ち目はなかった。コソヴォ平原一帯はセルビア同盟軍へ兵士たちの血に染まった。トルコ軍による殺戮は一三日間続いたという。ラザール公は捕らえられ首をはねられた。セルビアの貴族たちは一掃させられた。こうして、セルビア軍およびその同盟軍は全滅したのである。その後、ラザール公の婿養子で、数少ない生き残りの一人、ミロッシュ・オビリッチが白昼堂々敵陣に切り込み、テントのなかのスルタンを殺害するという快挙もあったが、大勢に変わりなく、セルビアはもちろん、モンテネグロを除いてボスニア、ヘルツェゴヴィナの全セルビア国家はオスマン・トルコ帝国の手に落ちたのだった。

 



 コソヴォ原の戦いは、セルビア人の創造する力のうえに計り知れない恐怖の印象を刻み込んだ。戦いが終わって一〇年間、セルビアは惨澹たる政治状況下に叩き込まれた。民衆は苦しみと屈辱に心を引き裂かれながらも、戦いを思い起こし、思慮に富み、雄々しくも物悲しい物語や詩歌「ピイエスメ」を創りはじめた。それらは一世紀にわたって語り語られ、創り再編されながらついには力強くかつペーソスに溢れた一群の伝説にと昇華されていったのである。その作品群は、叙事詩的に人物を扱った「ラザール公」、スルタンを殺害した「ミロシュ」、雄者ガネロンのような人物を扱った「ヴーク・ブランコヴィッチ」、やさしく美しい「コソヴォの生娘」、最も有名な「クラリェヴィッチ・マルコ」、戦いで九人の息子を失い悲しみに耐える超人的な女性を扱った「セルビアの母」などである。

 こうした物語や詩歌は、いまのユーゴスラヴィア全域にひろまり、グレースと呼ばれる一弦楽器の伴奏に合わせて地方の文盲の農民たちによって語られ歌い継がれてきた。それらは、その後もうち続く異民族支配に対する全スラブ人たちの自由と独立を求める心の支柱にいつしかなっていったのである。

 なかでも最も感動的で、民衆に好まれて歌い継がれてきたのは、中世セルビアの貴族、クラリェヴィッチ・マルコの偉業を称えて際限なく続く民謡だろう。マルコはそのなかでは、古代スペインやペルシャやロシアの伝説中の英雄と同じように、ロマンティックなヒーローである。ゲーテは彼を「セルビアのヘラクレス」と読んで大いに持ち上げている。実際のマルコという人物は、無節操な掠奪者であり、セルビア帝国崩壊の原因の一部をつくった不埒者であるが、この際、そんな実像は問題ではない。歌のなかの彼は、ガルガンチュア風大酒飲みとして登場し、闘士として人びとの人気を集め、イスラムに対する忠実な戦士として活躍し、コソヴォ原の戦いでは数少ない生き残りの英雄で……というふうに大叙事詩的人物に祭り上げられている。その後の彼は相変わらず酒を飲み、悪をやっつけ、弱者を助け、やさしい心根をぽろりと出して見せたりする。そして、こんもり繁る森に住む妖精、ヴィーラとともに、平和な世界を夢見ながら三〇〇歳まで生き延びる。その最後は各説まちまちだが、ほとんどはあのスロヴェニアのマトヤッチ王と同じような伝説中の救世主として生き続けている。

 物語や詩歌「ピイエスメ」のほとんどは、セルビアの衰退と崩壊を題材にしたものが多いが、恐るべき迫力を持っているといっていい。原文で読んだり、もっといいのは人びとが吟唱しているのを聞くとき、それらを創った民族の途方もない精神力とリアリズムに圧倒され驚嘆させられる。それらは語り継ぎ歌い継がれていくにしたがって、民族の持つ新しい創造性の滋養や詩的な霊感が次々と注ぎ込まれ、より純化し、より美化したものにと変遷を遂げてきた歴史であり、バルカン・スラブ民族の膨大な智慧の宝庫となり、生き生きとしたイメージで表現されるバルカンの究極の道徳律といってもいいものだ。もし、セルビア人がこうした物語や詩歌をつくらなかったならば、トルコのくびきの下で死に瀕したであろうし、その後のヴェネツィアやオーストリア・ハンガリー治下の全ユーゴスラヴィア人にとっても同じ死が待っていたにちがいない。オスマン・トルコによるいかなる迫害や大虐殺があろうとも、ヴェネツィアやオーストリア・ハンガリーによる自由と主権の剥奪があろうとも、人びとは物語や詩歌に託して自らの心、民族の心を保持し続けることができた。一九世紀初頭のセルビア北部に起こった政治的自治権獲得と解放を求める運動に人びとが雪崩を打ったのはその賜物であり、一九一二年と一三年のバルカン戦争、一四年のサライェヴォ事件、世界大戦の勃発、オーストリアの解体、大ユーゴスラヴィア国家の成立へと急転直下導いた精神的支柱ともなったのである。

 セルビア人は、ホーマーばりの悲劇と叙事詩を歌いながら、たくましい感性と〝征服されざる魂〟を育んできた。敗北と隷属をついには勝利と解放の約束に変えたのだ。こう述べると、どこかユダヤ人的であるが、もっとタフで男らしく、もっと土臭い感じが漂っている。悲劇を歌っても、じめじめした涙は一切見られない。幼い息子がトルコ軍に駆り出されても、愛しい娘がパシャの欲望の餌食にされても、両親は古い民謡を歌って新しい子どもをもうけるのである。

 一九世紀に、セルビアの文学者、ヴーク・ステファノヴィッチ・カラジッチは、それらの物語や伝説を収集し文字に書き留めた。ゲーテはそれを読み、こう言明した。「これらがもう少し早く一般に知られていたなら、ヨーロッパを驚嘆させたであろう。ここには現代人には見られない、澄みきった天性の詩心が漲っている」と。

 



 セルビアが自力で領土を解放し、トルコやオーストリア帝国の魔手も過去のものとなり、ユーゴスラヴィアが現実のものとなったいまでは、コソヴォの叙事詩は、バルカン諸国にとっても、あるいはひろくヨーロッパにおいても、大方その政治的役割を果たし終えたといえるだろう。むしろ、政治的役割をいまでも依然として強調し続けるのは危険である。なぜなら、叙事詩全体を通して、人びとが生まれ育った土地への熱狂的な愛着を扱った節が多く、ちょっと排他的なところも感じられるからだ。無知で狭隘な愛国心は、自己の利益のためだけに動く扇動的な政治屋に喰い物にされ、ふたたび血塗られた犠牲のなかに導かれないとも限らない。

 それらの叙事詩の傑作が、今後よりいっそうの輝きをもって光を放つ分野は、セルビア人を含めた南スラブ人の、さらにいえば、ユーゴスラヴィア人の民族性とその背景を知る一つの重要な手がかりになる、その鍵の部分においてではないかと私には思える。

 詩歌「ピイエスメ」には、中世セルビアの風習や衣服や食べ物について、あるいは人びとの淡々とした日常を綴る叙述がたくさんあるし、世界中どこへ行っても通用するだろう、女心をうたった面白い作品もある。

 次に紹介するのは、一人の少女が顔を洗いながら水面に映る自分の姿に話しかけている歌からの引用である。

 
 ねえ、あたしの美しい白い顔さん もし、あなた
 が年老いた男の人に捧げられるようなことになれ
 ば あたしはみどりの森へ行き たくさんのよも
 ぎをかき集め 苦汁をたっぷり搾りとり それで
 あなたを洗ってあげる ねえ、あたしの美しい白
 い顔さん あなたへの口づけは苦くてってできな
 いはずよ でも、あなたが若い男の人に捧げられ
 れば ねえ、あたしの美しい白い顔さん あたし
 は明るい花園に入って 薔薇という薔薇をぜーん
 ぶ摘みとって それで夜も昼もあなたを洗ってあ
 げる あなたの愛しい口づけは その方にやさし
 く染みこんで 幸せな気分になれるでしょう!

 
 セルビア人がつくってきた詩歌には、彼らの民族の特徴がいっぱい詰め込まれている。家族崇拝、血縁の大切さ、そのための自己犠牲、不謹慎な行為と高潔な心との矛盾なき同居、権力的野心に導かれた策略と極端な搾取があるかと思うと、弱者に対する類なき愛と慈悲心があり、無原則の日和見主義かと思うと、敵に向かっては英雄的な非業の死をいとわない。統一へ向かう衝動と無秩序へ向かう衝動の混然体……。コソヴォの叙事詩は、セルビア人、ユーゴスラヴィア人の性格の肯定と否定の両面を隠すことなく晒け出す、あまりに人間的な一民族集団の悲歌なのである。



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翻訳 田原正三

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