Louis Adamic on Twitter ツイッターでL アダミック4
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『鷲とルーツ』はアメリカと祖国で正当な評価を得るまでに出版から40年の歳月を要した。アダミックの死の真相も、その原因ともなったといわれる『鷲とルーツ』および未出版の遺された膨大な量の原稿(「激震の中のチェスゲーム」他)も、謎だらけのままだ。何か大きな力が働いた気がしてならない。
当時アダミックが会見した国王アレクサンダルは,「...ほとんどの本は私の期待を裏切るものです」と語ったが、「...裏切る」どころか激震となって、その政権の心臓部に一撃を見舞い、軍事独裁政権は事実上崩壊した。
できるかぎり己の良心に従い、「正直」に「自由」に書いた。そして出版された『鷲とルーツ』(アダミックの死後出版された)は、祖国ユーゴでは「禁書」となる。その17年前の1932年に帰郷した折に書いた『故国に帰りて』もまた、「禁書」であった。携帯しているだけでも投獄されたのだ。
アダミックはその資料を全くといっていいほど使用しなかったこと。使用したのは、アメリカで自分が集めた資料と、実際に自分の目で見、聞き、訊ねて取材した記録と、自分の記憶だけである。「情報」の価値を充分知り尽くしている、アダミックらしいところだ。
そして政府が集めさせ準備させた資料類は膨大な量にのぼる。新生ユーゴ政府にとってアダミックへの期待がいかに大きかったかを物語ってもいる。それらをアメリカに持ち帰って、アダミックは「異常なまでの情熱」で本の執筆にとりかかる。しかし、「面白い」のは、
詳細は後で書こう。1949年、アダミックはユーゴを再訪する。滞在期間は半年、二ヶ月はフランス。チトーをはじめ新生ユーゴ政府の熱烈な歓迎をうける。政府高官をともなうさまざまな視察旅行...国内を施設を見学、コミンフォルムとユーゴに関する討議、またチトーの別荘への招待...
そしてアダミックは米国大統領選に出馬したヘンリー A・ウォーレス(F ルーズベルトの下で副大統領)の進歩党綱領委員会の委員に任命され、一週間、夜を徹して進歩党綱領委員会草案の作成にとりかかる。勿論勝敗は最初から分かっていたが、その遺産はいま、オバマの政策に活かされているのでは。
思想的にアダミックと似たジョージオーウェルは「1948年」を 書き、すでにソ連の官僚国家の本質を見抜いていた。アダミックは 米国の反共ヒステリーとたたかいつつ、不完全な一党独裁の体制に も拘らずコミンフォルムから除名されたチトーのユーゴを支持した 。
1947年初めに英国首相チャーチルに「名誉毀損」で訴えられて敗訴。それもたかが「脚注」においてだ。時代の風向きが変わった。アダミックはもうどこの新聞雑誌にも掲載できなくなった。そして1948年、自分の時事通信に「アメリカ抵抗運動の最前線に立つ」として記して、人生最後たたかいを始める。
アダミックは1931年から年一冊の割でコンスタントに本やパンフレットを出版し、様々な雑誌や新聞等に「洪水」のごとく寄稿していたが、それが1947年から死ぬ1951年までは一冊の本も出していない。新聞雑誌等への寄稿も数える程度である。ただ自分の定期刊行物に掲載しているだけである。
I think, a failry feeling about the vast place... which I hope the ensuing pages will at least partly convey to the reader. 『私のアメリカ』(1938)に。
Since 1931 I have traveled perhaps 100,000 miles in America, by train, by auto...to get "the feel of things"; and I have developed,
アダミックはそれまでは何の組織にも入っていなかったが、1934年、米国ルーズベルト政権下のFLIS行政委員の地位についている。FLIS(Foreign Language Information Service)外国情報報道局。彼のリーダーシップによってこの組織は激変する。
当時アダミックは、世界はすでに核時代に突入していたことをはっきりと認識していた。アダミックは東西イデオロギーに屈していた。が、それはまたを超えていたとも言える。
and necessary to understand Adamic's significance to the New Yugoslavia." Prof H.A.Christian 米ソは増長し超大国化へ、ユーゴは独立し孤立していたので、アダミックの思いは届かなかった。
"...at the 1981 Minesota Adamic Symposium I heard the late Joza Vilfan good for Yugoslavia. In the last forty years it has been important
and to utilize their natural resources for their own development.東西冷戦が始まる1948年当時である。米ソは軍拡競争へ、そして1992年 ついにソ連の経済は破綻して冷戦終結。
their internal logic toward domination... did not understand the urge and the determination of undeveloped countries to be independent
アダミックをよく知り、ユーゴスラビアについて様々な議論をする機会のあった駐米ユーゴ大使Yoza Vifranは、同国際会議でこう述懐する。Adamic's pessimism for a future in which the "two superpowers driven by
"as the beginnings of what became "the non-aligned policy."
Vilfan credited Adamic's foresight in seeing the split "as a harbinger of the resistance against subordination to superpowers,
-shocking to Vilfan at the time - that Yugoslavia's break with the Soviet Union in 1948 was decisive, even positive,
1981年に開かれたアダミック国際会議・シンポジウムの冊子に、ビフランの証言についてこう載っている。An exception to Adamic's general discouragement was his view
彼はスターリン下のソ連に同調していたはず。アダミックはすでに、米ソ超大国に従属しない「非同盟」政策の、明確な自主独立路線の考えを持っていた。アダミックの先見性。アダミックはユーゴ政府にスターリニストがいることを指摘したりする。
ソ連からユーゴが除名された1948年当時の元駐米ユーゴ大使Vilfanの発言は重要だ。確かアダミックの死の直後ある雑誌にアダミックのことを書いていたのは彼では。いま手元にない。当時はあまりいい評価はしていなかったはず。
◇L.アダミックはエスニック・アメリカの象徴であり、「多様性による統一」の提唱者である。その視線は、人種・民族的差別や偏見を受ける者、弱者、アウトサイダー、異人、変人、異端者、外国人、境界人、移民、棄民、マイノリィティ、少数民族.に非常にあたたかく、その権利を守るために闘った。
2000年NY市で催された「自由の女神コンサート」。http://bit.ly/aCnCNR
*Statue of Liberty(自由の女神像) American Dream: Andrea Bocelli's Statue of Liberty Concert
《移民の声》と題するエリス島のパフォーマンスで、アダミックの移民の自伝的小説 『ジャングルの中の笑い』の一節が、一世移民たちによって3度にわたって朗読された。同じ移民の体験者として彼らにはアダミックの言葉が、一語一語が身に沁みたにちがいない。
*Statue of Liberty(自由の女神像) American Dream: Andrea Bocelli's Statue of Liberty Concert http://bit.ly/d4e3VK 1991年、ニューヨーク市で開かれたニューヨーク芸術祭に
いつだったかアメリカのニュージャージー州ミルフォードのある人からメールが届いた。アダミックが住んでいた家に今住んでいると。ルーズベルト夫妻やチャーチル首相がよく訪ねていたそうで大変名誉だと。
The Native's Returnが1930年代のベストセラーであったことを知ったのも、アダミック研究者C教授の"Louis Adamic: A Checklist"を取り寄せて読んでからである。共感できる人たちが海外にいたことが一番嬉しい。今ならインターネットがあって便利だけど。すべてはゼロからだ。
*当時日本ではアダミックに関する資料は全くなかった。百科事典や人名事典に何行か載っている程度。国会図書館へ出かけたり、いろんな人に訊ねたがさっぱりだった。アメリカへ行って初めてその作家の国際会議・シンポジウムが開かれていたのを知って吃驚した。
*第二次世界大戦中、アダミックは、アメリカで初めてチトーのパルチザンを強力に支援する一方、スロヴェニア系アメリカ人民族会議(SANS)の名誉ある代表として、スロヴェニア民族解放闘争遂行するためにアメリカ当局とルーズベルト大統領の間をとりなした。
「自伝」では「南スラブ人国家統一運動」の学生デモに参加して、オーストリア兵に射殺されたのが友人としているが、実際はRudolf Lunderと親戚の少年Ivan Adamicがいた。アダミックは拘留されそして退学。二度と正式の教育を受けることはなかった。14歳。血気盛んだな。
地球規模で進展するボーダレス希求、多種多様な価値観の発見、世界の多様性を追求したスロヴェニア出身の著名なアメリカ移民作家を通して時代を読む、民族、国境、時代を越えて心に響く作品集(翻訳書)! http://bit.ly/9aem77
Louis Adamic on Twitter ツイッターでL アダミック3 http://immigrantebook.blogspot.com/ あとで時代・内容順にまとめることにしよう。
アダミックは晩年、歴史の最前線にいた。もしかしたら世界を、東西の冷戦構造を、自分が変えることができるかもしれないと夢想した。その中で必死にもがき、苦しみ、苦闘した。無論実現できなかったが、これが一人間として、非常に価値のあることだと私は思う。
それにアダミックの晩年を特に研究をされているスロヴェニアのジトニック女史は、その国際会議にはまだ参加していない。冷戦とアダミックの関係などまだまだほんのスタートしたばかりだ。
1981年に、アダミック没後30周年を記念して国際 会議・シンポジウムがアメリカとスロヴェニアで開かれ 一応の評価も出たが、その後ユーゴの民族紛争が起きたり、スロヴェニアの独立があったり、EUが誕生した。アダミックの先見性を改めて思い知るにいたる。
当時の関係者からすれば以外かもしれない。例えばアメリカの百年間の暴力物語、階級闘争史『ダイナマイト』を出しているが、その前書きで、私は何の組織にも組合にも属していない、だから客観的な立場で書いている、ただ現実に起きているこの「事実」だけは直視してほしい、アメリカの将来のためにと
アダミックは、あの1930-40年代の政治の季節に、社会党や共産党、AFLやIWWなどの左翼的な労働組織に全く属していない。ほとんど自ら組織し自らリーダーとして引っ張っていくか、もしくは一個人として、全くフリーの立場で、さまざまな活動に参加している。非常に興味深い。
☆ブログ アメリカ移民の自叙伝(電子書籍)-「ジャングルの中の笑い」弱肉強食化した1920年代のアメリカは、まさにバブル後の日本と同じ状況を映し出している。移民たち一人ひとりの血と汗で築いた国アメリカ。彼らの夢と挫折を通して、約束の土地http://bit.ly/cgxp8I
「恐らく貴下は、アメリカ合衆国のユーゴスラヴィアに対する官僚的な振舞いに困惑しておられるでしょう。私は手紙では、このわれわれの広大な、民主的な国土の複雑さを、そしてその素晴らしい長所とともに、その欠点と邪悪さとを、どうしても説明することができないのです。」
「南スラブ系アメリカ人統一委員会」の代表に任命され、その機関誌「ブルティン」を自ら編集し刊行した。そして1943年に『わが祖国』を出版した。その10月、アダミックはユーゴスラヴィア人民解放委員会が自分に「統一勲章」を与えたことを知ったとき、チトー元帥に次のような手紙を送った。
☆第二次大戦下、アダミックはアメリカと世界に必要だと考えていた様々な活動に膨大なエネルギーを消耗させた。アメリカの戦争努力とともに、チトー率いるユーゴ・パルチザンをアメリカで初めて支持した。南スラブ系アメリカ人の最大のロビーとなった新しく創設された
を登場させている。恐らくその中で、彼の理想とした、国家的な多様性による統一が、国際的な多様性による統一が、さらには「世界政府」や「真の国際連合」のようなものが語られたかもしれない。
20世紀前半世紀の物語。アダミックは『ミカエル・ノバクの教育』の前金をすでに 出版社から受けている。その主人公にスロベニアから1880年代に移民して成功した、産業界の大立者を設定しているのが私には興味深い。今一人は国際的な「中立」の道を行くべき(例えばチトーのような)
このなかで東西冷戦を回避させ、〈世界を変える〉物語が語られたかもしれない。しかし彼は、死の原因ともなった最後の本『鷲とルーツ』も目にすることはなかった。1952年、死後9ヶ月後に出版された。 そして他に未出版の多くの原稿が残されていた。
アダミックが10年間の構想を練り、いよいよ執筆にとりかかろうとしていた小説のタイトルが『ミカエル・ノバクの教育』。『ヘンリー・アダムズの教育』の作品をモデルにするつもりだった。アメリカ移民の半世紀の壮大なドラマ...
dispense with such violence as has been described in this book."DYNAMITE-The Story of Class Violence in America 1830-1934. rev. ed. 1931,34
organize their revolutionary spirit into force - into unions with revolutionary aims to power. Then they will be able to afford to
"In fine, the American working class will be violent until the workers become revolutionary in their minds and motives and
The Native's Return 1934は、大恐慌下にもかかわらずベストセラーとなり、40年代まで続いた。アメリカが「移民の国」であることを、アメリカ人たちが再認識したことにもなったといえる。
I guess my financial worries are over for a while, anyhow. Suddenly I feel very calm...
In one month some fifty thousand copies will be distributed.... S. terribly happy....
December 16.―Last night I learned The N.R. is the Book-of-the-Month selection for February!
Louis Adamic *1933 December 4.―S. and I have very little money-and I owe〔various people〕neary twelve hundred dollares! ...
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16才の編集助手として、朝九時に新聞を刷る準備のために、午前四時に机につかなければならなかった。その時刻には、マンハッタンのビジネス街は真っ暗で、人気はなかった。摩天楼は、ところどころ一つの窓だけに明かりが点っていて、昼間のマンハッタンよりももっと神秘的で美しく、気分がよかった。
アダミックは14、5才でニューヨークのスロヴェニア語系新聞社「グラース・ナローダ」で働いている。最初は新聞配達や雑用だが、その後取材記事を書いたり、国際的なニュースを翻訳したりしている。いわば職人である。
止めなければならないことを知るでしょうし、〈感じる〉でしょう。そして、一つの目標に向かって、各自の理想に向かって、更には自ら真に願う世界と、またそういう世界を創りたいと思う方向に、心を向けなければならないことを知るでしょうし、感じるでしょう。」
1936年のアダミック講演から。「私は教育というものが、量的なものでなく、質的な、価値ある人間を創造していくべきだと懇願してやみません。...人は、ヒューマニズムを死滅させはしまいかと恐れて、お互い、如何に闘うか、といった策謀にエネルギーの大半を費やすことを
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移民としての過去が傍観者的な好奇心と生き生きとした民主的友愛主義を与えることになった、ルイス・アダミックなる作家の印象記録の大作『私のアメリカ』のなかでは、アメリカは不思議な、しかし本質的には「進展―長い果てしない」を示す希望の国としてその姿を示している。」『現代アメリカ文学史』
評論家アルフレッド・ケイジンはこう書いている。「東はメイン州のポーランドから西はオレゴンまで、北はデトロイトから南はメキシコ湾まで、またニューヨークからハリウッドまで、アメリカには見るすべての人々にとって、そのそれぞれの型がある。
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